早稲田大学山の会50年のあゆみ |
2006年11月に行われた創立50周年記念事業の一環として記念誌「早稲田大学山の会50年の歩み」が発行されました。450頁にもなる大冊は第一編は50年のあゆみ、第二編は資料編、第三編は記録編からなり、山の会の50年のあゆみが余すところなく語られています. この創立50周年記念誌は次のOBの方々の多大なお骨折りのもと編集されました。 恩田OB(1961年卒)、松村OB(1962年卒)、井村OB(1964年卒) 斉藤OB(1965年卒)、新井OB(1970年卒) このページでは記念誌「早稲田大学山の会50年のあゆみ」から抜粋し、50年の歴史を簡単にご紹介いたします。 記念誌では山の会が辿ってきた50年を9つの期間に分けその歴史を解説しています。 第1期 1956年~1957年 創立のころ 第2期 1958年~1960年 大所帯山岳会に 第3期 1961年~1963年 芽生えはじめた雪よ岩よ 第4期 1964年~1969年 転換期 会員減少の中で 第5期 1970年~1977年 少数精鋭での10年 第6期 1978年~2000年 灯火を守った20年 第7期 2001年~2005年 OBと共に復活を 第8期 現在の山の会 本ページでは区分に従って記念誌から記事を抜粋しご紹介いたします。、 |
1955年~1957年 創立のころ |
1956年の夏、和田、大国、山口、磯貝、横田諸先輩など山好きな仲間が寄り合って、「新しい山の会をつくろう」ということで意気投合したのが、早稲田大学山の会の始まりでした。翌1957年1月に大学の公認団体を目指して体制つくりがはじまり、2月には会長に稲田教授、副会長に三田教授に就任していただき、初代幹事長には和田先輩が就任、2月16日に「早稲田大学山の会」として正式に発足いたしました。設立趣意書には「研究性と大衆性」を謳いあげ、「大衆性」とは希望すれば山を愛する学生すべてを会員として迎い入れ、会員の自律を前提として、個々人の個性を尊重しつつ、幅広い登山活動を行うというものでした。一方「研究性」に向けた具体的活動を行うために「生物部」「気象部」「資料部」「地歴部」「厚生部」の5つの研究部が設けられたのです。会としての初めての山行は3月末に41名が参加し伊豆天城山、続いて5月に36名が1泊で雲取山行を実施しました。 |
初めての会山行 伊豆天城山 1957年3月 |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4・5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1957年 昭32 |
7名 | 雲取山 (五竜~鹿島槍ガ岳) (鳳凰三山) (金峰・甲信武岳)(金峰~雲取山) (未丈岳) (尾瀬) (奥穂)(燕・常念岳) (剱岳) (谷川岳) (八ヶ岳) 南ア分散、 吾妻・安達太良山 黒姫山 (至仏・燧ケ岳) (戸隠・火打山) (富士山) (荒船山) (苗場山) (木曾駒ヶ岳) (浅間山) (日光白根山) |
飯豊山集中登山 北ア、剱岳~薬師岳 知床半島 南ア、塩見岳~荒川~大沢岳 中央アルプス定着 (剱岳~上高地) (剱・長次郎谷) (北穂東稜、北尾根、滝谷ニ尾根) (谷川岳) (鹿島槍) (白馬・唐松岳) (八幡平) (烏帽子~槍ガ岳) (蒜山・大山) (剱・下ノ廊下) (後立山) (八甲田) (立山~槍ガ岳) (阿寒)(大雪)(石狩岳)(利尻岳)(ニベソツ山) (白根三山)) (九重山) (阿弥陀南稜) (鋸・甲斐駒・白根三山)(槍・穂高) |
燕~常念~蝶ケ岳 赤城山集中登山 天狗岳~赤岳~権現岳 |
丹沢 | スキー合宿赤倉 伊豆半島縦走 大菩薩 木曾御岳 (四国石槌山) (金峰~国師岳) |
1958年~1960年 大所帯山岳会に |
創立2年目の入学シーズンを迎えて、会員は200名を越える大所帯山岳会に急成長しました。「大衆性」をより安全確実に実現するために、夏合宿に加えて新人(生活技術)合宿、雪上訓練合宿(11月、富士)リーダー養成合宿(12月遠見)残雪期旧人合宿(5月GW横尾定着)が制度として加わりました。 また「研究性」に向けた活動も活発に行われた時期でもありました。1959年に気象部では吾妻山で第1回定点観測が行れ1961年から白馬山頂に場所を移しその後継続しました。地歴部、厚生部、生物部合同研究の秋山郷の研究、苗場山の植物、周辺山域の探査や資料部は未知の山研究として、記録の少ない奥利根水源の平が岳に照準をあて、越後駒~平が岳、尾瀬猫又川遡行~平が岳、水長沢遡行~平が岳を探査しました。 この頃は会員数が多いためか会山行に比べて個人山行の数ははるかに多く、岩稜、谷、山稜、草原など真冬を除いてオールラウンドな様々な山行が行われています。 |
1958年、90名が参加した夏合宿飯豊集中登山 |
リーダー養成合宿 遠見尾根にて 1958年12月 |
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夏山合宿 北ア雲ノ平への道 1960年7月 |
はじめての雪上訓練合宿 富士吉田大沢にて 1959年11月 |
気象観測機材の荷上げ 白馬大雪渓にて 1961年8月 |
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夏山合宿 飯豊山 1958年8月 |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1958年 昭33 |
13名 | 越後駒~中ノ岳 (雪倉岳スキー登山) (鳳凰三山) (八ヶ岳縦走) (白毛門~清水峠) (北ア一の俣本谷) 吾妻、燧ケ岳、 穂高涸沢 上州武尊山、 早池峰山 (涸沢・穂高)(槍ガ岳) (谷川・鷹巣沢・川棚沢) (赤岳) 新人歓迎三方が峰 吾妻連峰、 尾瀬燧ケ岳、 穂高涸沢、 上州武尊山、 早池峰山 鳳凰三山 (西穂・岳沢)(燕~穂高) (谷川・一ノ倉) (甲斐駒・仙丈) (南ア南部) (荒沢岳) |
夏合宿 飯豊山集中登山 北ア、朝日~鹿島槍~種池 (大雪、羅臼) (槍~針ノ木) (浅間、草津、志賀、戸隠、黒姫) (かぶと岩~岩手山~八甲田大岳) (尾瀬・会津駒ガ岳) (岩手山・乳頭山・秋田駒・八甲田山) (丹沢・同角沢) (谷川岳) (飯豊山)(白根三山) (火打・笹ヶ峰) (針ノ木・五色・三俣蓮華岳) (谷川・ヒツゴー沢) (大雪・羅臼岳) (浅間・草津・志賀・戸隠・黒姫) (鳥海山) (槍~針ノ木) (鹿島槍ガ岳) (荒川・塩見岳) (剱東面) (八甲田・早池峰山) (白山) (大雪山) (燕~穂高) (剱・立山) |
白根三山、鳳凰三山 甲斐駒、仙丈分散山行 奥秩父 (北尾根、東稜、滝谷) (槍~北穂高岳) (西穂~奥穂高岳) (鹿島槍ヶ岳) (谷川岳) (燕~槍ヶ岳) (八ヶ岳縦走) (後立山縦走) (鹿島槍ヶ岳) (甲斐駒・仙丈岳) (八海・白毛門) (南ア鋸岳) (白馬・唐松岳) (谷川~清水峠~白毛門) (烏帽子~槍ヶ岳) (谷川マチガ沢) (北岳) (鹿島槍ガ岳) (燕~槍ガ岳) |
(鹿島槍ガ岳) (北岳) (八海山) (八ヶ岳) (仙丈岳) (鳳凰三山) (八ヶ岳) |
スキー合宿志賀 屋久島 金峰、国師岳 (八ヶ岳) (四国剣山) (屋久島宮之浦岳) (開門岳、霧島山、阿蘇山)) |
1959年 昭34年 |
19名 | 飯豊連峰、 燕岳、 白馬岳 巻機山、 天城峠、 徳本峠 剱、立山、 北八ケ岳、 吾妻山 穂高涸沢、槍北鎌尾根、 (谷川岳) (鹿島槍ヶ岳) (槍~西穂高岳) (立山~薬師岳) (越後駒ヶ岳) (鳥海山) (戸隠・乙妻山) (富士山) (槍~穂高岳) (白馬岳) (鳳凰三山・白根三山) (朝日連峰) (谷川岳) (剱・立山) (白馬岳) (木曾駒ケ岳) (苗場山) (八ヶ岳) (奥穂・前穂高岳) |
夏合宿 北ア、雲ノ平集中 鹿島槍~槍ケ岳、 西穂~雲ノ平 北ア横断、 中尾峠~雲ノ平 餓鬼~笠ケ岳、 烏帽子~槍ケ岳 槍~雲ノ平 吾妻定点観測 (アポイ岳) (利尻・大雪・斜里・日高岳) (羅臼・大雪・十勝岳) (沖縄オモト岳) (八甲田・八幡平) (大山) (白馬・雪倉岳) (船窪~平~立山~剱岳) |
日光白根山、 川苔谷、奥秩父、 (西穂~北尾根) (剱~燕岳) (明神東稜) (西穂~槍ケ岳) (燕~槍~奥穂高岳) (北穂高岳) (徳本~燕岳) (八ヶ岳縦走) (妙高山) 後立山縦走 八ヶ岳全山縦走 雪上訓練合宿富士 |
リーダー養成合宿 北ア、遠見尾根 (阿弥陀岳南稜) |
スキー合宿蔵王 剣山、石鎚山 伊豆諸島 大峰連峰、 鳳凰三山、 巻機山 (唐松岳) (八甲田山) |
1960年 昭35年 |
26名 | 旧人合宿、横尾定着 (西穂高岳) 新人歓迎神津牧場 新人合宿、北八ヶ岳 尾瀬平が岳集中 苗場、和山、鳥甲山 朝日連峰縦走 (前穂北尾根)(北穂東稜) (赤岳天狗尾根) (ジャン飛騨尾根) (尾瀬) (岩手山・秋田駒ケ岳) (富士山) |
夏合宿 北ア、黒部乗越集中 剱~太郎兵衛平~湯俣、 中尾峠~笠~湯俣、 徳本峠~槍~双六~湯俣 烏帽子~黒部乗越~湯俣 吾妻定点観測 (大雪、利尻岳) (秋田駒~八幡平) (早池峰山) (烏帽子~槍ケ岳) (利尻岳)(大雪山) (甲斐駒ケ岳) (剱周辺岩登り) (早池峰山) (針ノ木~三俣~剱岳) (利尻・大雪・羅臼岳) (谷川東面) |
丹沢水無川 飯豊連峰縦走 八ヶ岳、 (槍北鎌尾根) (穂高奥又) (北尾根、東稜)(涸沢周辺) (飯豊山) (上越国境縦走) (奥又・涸沢・徳本) (白馬岳) (谷川マチガ沢) 冬山偵察白馬岳 白根三山 |
八ヶ岳、 白馬岳、冬山中止 |
スキー合宿高峰 平が岳、燧、至仏 スキー登山 巻機山、 |
1961年~1963年 芽生え始めた雪よ岩よ |
1961年から約2年間の山の会は学内の山岳会として、メンバーや内容が充実し、会としては安定期を迎えるとともに、目指す山とその登り方に関しては、雪山や岩登りが急速に増え始めた時期と言う事ができます。 各研究部は大人数の会員を研究部という単位でグループ化し、その大まかな好みに応じた山行を促進するという傾向が強まり 岩登りは個人山行が主体ですが、雪山は研究部単位で春に行うようになってきました。春山はワカンとアイゼンを使用する積雪期登山と幕営しながら各峰々を登るスキー登山の2つの傾向に分かれて行きました。 この時代1961年3月に2晩の稜線上のビバークの末、小林、平賀両名による積雪期鳥甲山の初縦走がなされました。 1963年度に入り積雪期登山に対する取組みは、春山を会の総力をあげて行う合宿と位置づけ、今まで会活動の最大行事が夏合宿であったのに対し、今後は無雪期は夏合宿、積雪期は春山合宿と会活動の中心が2本立になりました。そしてその歳の春3月に21日間の極地法での遠見尾根~五竜、唐松、鹿島槍、10日間の予定で妙高、火打、黒姫のスキー登山が実施されました。 1961年には初代幹事長の和田OBが隊長として早稲田大学探検研究会(後の探検部)のエクアドル・アンデス遠征隊が派遣 されこれに60年度幹事長の山口OBも参加しチンボラッソの登頂とアルタール連峰の試登を行いその情報を持ち帰りました。 1962年11月28日、山の会の50年の歴史の中でも忘れられない出来事がありました。乗鞍岳の雪上訓練合宿の下山前日の日、普段は滑落停止やザイルワークに絶好な訓練場所を襲った雪崩に分散パーティの7人全員が流され中村先輩は還らぬ人となってしまったのです。 仲間を失った現役・OBの衝撃と悲しみは深く、また事故の反省と再発防止のためにOB会が中心となって遭難検討委員会が作られ、事故の根本的原因の追究と考察がなされ、その結果は翌1963年5月に「乗鞍岳遭難報告書」として纏められました。 |
旧人合宿 穂高涸沢にて 1962年5月 | 夏合宿集中地雲ノ平で女子パーティを迎えて 1961年8月 |
資料部6月部山行、越後中ノ岳無事集中を果たして 1962年6月 |
夏合宿北ア横断P スイス庭園より黒部川へ下る 1962年8月 |
忘れることの出来ない乗鞍雪上訓練合宿、 1962年11月 |
良く晴れた乗鞍のピークにて 1962年11月 |
訓練の合間のひと時 1962年11月 | 当時の新人仲間 1962年11月 |
旧人山行 小屋掛しながら遡行した奥秩父竜喰谷 1963年5月 |
気象部6月部山行 岩手山~秋田駒 田代平山荘にて 左端が若き日の濱田会長 1963年6月 |
夏山合宿2日目 仙人池から降りて夕闇迫る剱沢の登り 真砂沢出合付近 1963年7月 右端は故姫野OB |
夏山合宿剱沢定着 源次郎尾根二峰にて 早い昼食 1963年7月 |
冬山 三伏峠から塩見岳 懐かしい一斗缶の荷上げ、 1963年 12月 |
冬山 三伏峠から塩見岳 登頂を果たして三伏峠に下る 1963年 12月 |
20日間もの悪天が続いた春山合宿遠見尾根 1964年3月 |
3週間振りに雪から解放される下山の朝、遠見法政小屋にて 1964年3月 |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1961年 昭36年 |
38名 | 乗鞍スキー登山、 燕~蝶ケ岳、 燕~槍ケ岳 霞沢岳、明神S状ルンゼ 明神東稜、 会津朝日~会津駒ケ岳、 奥秩父 雪上訓練合宿、一ノ倉 新人合宿、八ヶ岳全域 燕~大滝山 黒斑~三方が峰 |
蝶~一ノ俣~天狗庭 魚沼三山縦走 夏合宿、 北ア全山トレース 徳本峠~雲ノ平~黒部川~剣沢、池ノ平 太郎兵衛平~雲ノ平~笠ケ岳、 朝日岳~白馬~雲ノ平~槍ヶ岳 大日岳~剣岳~槍ケ岳 西穂~槍ヶ岳~雲ノ平~鹿島槍ケ岳、 冷池~針ノ木~平~五色~槍ケ岳 燕~槍~雲ノ平~五色、 笠~雲ノ平~針ノ木 白馬定点観測 |
中央アルプス縦走 穂高涸沢槍東稜、ジャン飛騨尾根、 大蔵高丸、 八ヶ岳偵察 (白根三山) (北八ケ岳) (富士山) 雪上訓練合宿乗鞍 |
(鳥海山) (巻機山) (岩手山) (槍~燕岳) (八ヶ岳広河原沢) スキー初転び山行 (雲取山) (夜叉神峠) (上州武尊山) |
スキー合宿越後中里 八ヶ岳全山縦走 蓼科山~天狗~赤岳 ~編笠山 妙高、乙妻、雨飾山 鳥甲山積雪期初縦走 平が岳、至仏、景鶴 スキー登山 (八ヶ岳) |
1962年 昭37年 |
27名 | 旧人合宿 横尾定着、蝶、大滝、奥穂、北穂、北尾根、北穂東稜、槍 新人合宿八ヶ岳全域 穂高岳沢、畳岩、コブ尾根 甲斐駒、仙丈、北岳、 谷川岳 越後中ノ岳集中、十字峡~、越後沢岳~、荒沢岳~中ノ岳~越後駒ヶ岳 白馬岳、 中央アルプス 谷川マチガ沢・東南稜・白毛門~巻機山 (ペテガリ岳) (木曾駒・宝剣岳) |
魚沼三山縦走、 飯豊連峰 上州武尊山、 仙丈・白根三山 丹沢水無川分散沢登り 夏合宿 北ア雲ノ平集中 笠~針ノ木、 剱~穂高岳 白馬~槍ヶ岳、 東沢遡行~有峰、 北ア横断、中房~有峰 鹿島槍~槍ヶ岳 鹿島槍~平~笠ヶ岳、 北鎌尾根~笠ヶ岳 烏帽子~湯俣、 燕~湯俣 黒部源流、岩苔谷、祖父沢 白馬定点観測 |
苗場山 気象部白馬他10月部山行の記録なし (谷川マチガ東南稜、一ノ倉四ルンゼ) (穂高奥又白) (巻機山) (北八ヶ岳) 白馬冬山荷上げ (爺岳東尾根春山偵察) 雪上訓練合宿乗鞍 |
中村先輩乗鞍遭難事故のため冬山中止 (阿弥陀北稜・赤岳(上州武尊山) |
スキー合宿高峰 奥秩父縦走 巻機山 唐松岳 平が岳、至仏、笠 燧、景鶴、皿伏、黒岩 スキー登山 (甲斐駒、仙丈岳) |
1963年 昭38年 |
19名 | 旧人合宿 涸沢定着、北穂東稜 北尾根、奥穂~西穂 赤石~塩見岳、 荒川三山 奥秩父、和名倉、東沢、 竜喰谷、 (十文字峠) (穂高周辺) 新人歓迎山行 新人合宿八ヶ岳全域 櫛形山、 空木岳、 未丈、浅草岳、 穂高周辺、 中央アルプス 岩手山~秋田駒ヶ岳、 剱周辺 |
夏合宿 分散 北ア仙人~剱定着~唐松 北ア雷鳥~剱定着~北穂 北ア浄土~笠ヶ岳、 南ア光~塩見岳、 南ア甲斐駒~塩見~広河内、 飯豊連峰縦走、 鳥海~朝日岳 白馬定点観測 (飯豊連峰) (奥秩父) (谷川一ノ倉三ルンゼ、五ルンゼ) (南ア南部) |
南ア聖岳集中 尾瀬周辺、 会津駒、燧帝釈山、黒岩山 塩見~北岳 北ア裏銀座 阿武隈源流甲子定着沢登り (大雪山) (鳳凰・白根三山) (会津駒・燧ケ岳) (西穂~奥穂高) (谷川定着) (浅草岳) |
南ア、三伏~塩見岳 赤岳~天狗岳 白駒池、縞枯山 (赤岳沢) (赤岳、阿弥陀岳) (金峰山) (雲竜渓谷) ((上州武尊山) |
春山合宿、 北ア、遠見尾根~五竜、唐松、鹿島槍ヶ岳(キレットまで) 春山合宿、火打、妙高、黒姫スキー登山 (赤岳)(尾瀬スキー) スキー合宿湯の丸 |
1964年~1969年 転換期、会員減少の中で |
創立以来、深刻な遭難事故を経験したものの、大学山岳部とは異なる独自の理念の下に、会員数も山行内容も充実した7年が経ちました。 岩と雪を求める人、低山徘徊やスキーを好む人が並存する中で、「山の会」の基本的な了解事項は「偏らないオールラウンドな素養を持った登山者を育てる」ことでした。それは「どこか特定の山を年間計画の最終目標にして、全会を挙げてこれに総力を結集する方式をとるものではない」ことを基本方針とするものでした。 しかしこの方針は尊重されましたが「山の会も山行が高度化してくると、春山、冬山を最終目標とする機運がたかまり、目標実現のためには義務山行も増えて行きました。山行の高度化を目指す人たちにとっては、居心地の良い環境になりましたが、組織としての統制の強化や山行の義務化を好まない人たちにとっては「山の会」の魅力は薄れて行きました。 山行が高度化したことで、会員数が減ったのか、会員数が減ったので、山行が高度化したのか、人によって見解は異なるでしょうが、事実として「山の会」の山行の高度化に伴って会員数の減少が顕著になってきたのです。そして会員数が極端に減少してきた1967年頃から、積雪期登山の高度化と少数精鋭化に拍車がかかってきました。 前年の1963年には3月の積雪期山行を年度の総決算として会の総力を挙げて展開することに目標に捉え極地法による遠見尾根から五竜、鹿島槍、唐松を、翌1964年春山合宿は南アの全山縦走を行いました。また1963年から岩登りも従来の個人山行レベルから、会山行として夏山合宿の後、涸沢定着RCとして実施するようになり滝谷や奥又など穂高周辺のクラシックルートを体系的に登攀するようになり、岩登りで大切な情報の共有と蓄積という面では大きな財産になって行きました。 南ア全山縦走後の積雪期登山は1965年冬山で横尾尾根~槍ヶ岳を実施してから、春山、冬山は槍周辺をはじめ北アルプスを縦走と下級生の訓練のためのセミポーラのミックスで行う山行に変化して行きました。その走りは1966年の少人数による燕~槍~横尾尾根の冬山縦走、1968年3月キレットで敗退しましたが当時記録の少ない笠ヶ岳抜戸南尾根から北穂までの縦走が挙げられます。 またこの時代は「山の会」のよき伝統であった、移動しながらの長期幕営スキー登山が合宿レベルで実施されていた最後の時代でした。 この時代1964年にエクアドル・アンデスのアルタール連峰に宮野隊長はじめ角田、村田、早川、青木、松村OB6名と現役小林1名の7名の早稲田大学エクアドル・アンデス遠征隊はアルタール連峰の氷と岩の主峰オビスポ(5320m)に初登頂し更に赤道直下の氷河の山カヤンベ(5840m)の登頂を果たしました。 1966年には山の会、自動車部、探検部で組織されたアフリカ委員会が企画した早稲田大学アフリカ縦断登山隊が発足し和田OBが隊長で藤沢、三木、井上、真下、梅崎、岡崎OB7名、久富現役1名、自動車部、医師、通訳現役女子学生、朝日テレビニュース各1名の計12名で2台の自動車でサハラ砂漠を横断し山に登りながらナイロビまでの半年に渡る壮大な遠征でした。登頂を果たした山はアゲルムジ(3711m)タダット(3840m)ツブカル(4165m)キリマンジェロ(5965m)ルウエンゾリ山群のマルゲリータ(5111m)でした。 |
1964年 早稲田大学エクアドル・アンデス遠征隊 |
初登頂したアルタール連峰の主峰オビスポ(5320m) 1964年6月 アルタールのベースキャンプにて |
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夏合宿 北ア雲の平集中 雲の平にて 1964年 8月 |
春山合宿 南ア全山縦走も残りわずか 北岳山頂で 1965年3月 |
夢に描いた剱岳北方稜線、赤谷山から辿った三ノ窓 1965年5月 |
厚生部部山行 剱岳北方稜線 池の平山から剱を望む 1965年5月 |
冬山北ア横尾尾根から槍ヶ岳 五峰ピークにて 1965年12月 エクアドル・アンデス遠征隊は冬用ナイロンテントやナイロンザイル、ヘルメットなど最新装備を現役にもたらしてくれました。フラッグはエクアドル国旗です。 | 冬山 横尾尾根五峰より南岳を望む 1965年 12月 |
1966年 早稲田大学アフリカ縦断登山隊 |
この2台に分乗してサハラ砂漠を横断しました。 | |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1964年 昭39 |
24名 | 鳥海山、 白根三山、鋸岳 八ヶ岳、地獄谷、天狗尾根、赤岳沢、上の権現沢 剱八峰上下、源次郎尾根 未丈~浅草岳、 奥秩父女子山行、 新人合宿八ケ岳全域 苗場、平ケ岳、 平標~谷川マチガ沢、 巻機山~谷川マチガ沢 万太郎~巻機、米子沢 (オジカ沢)(鷹巣A沢) (赤岳沢) (谷川一ノ倉南稜) |
夏合宿、 北ア全域 剱~白馬~雲ノ平~北穂 白馬~平~雲ノ平~槍 剱~雲ノ平~槍 黒部源流~雲ノ平 伊藤新道~雲ノ平 穂高涸沢RC、 滝谷ドーム中央稜、滝谷、2,3,4尾根、ジャン飛騨尾根、涸沢槍東稜、北尾根、東稜、 白馬定点観測 (北岳バットレス1,2,4尾根) |
白根三山~塩見岳 赤石~塩見岳 戸栗川定着 赤石~聖岳、光~聖岳 塩見~白根三山 北鎌尾根~槍ヶ岳 (荒川~聖岳) (飯豊山) (笛吹川東沢) (北岳~聖岳) (白根三山) (前穂東壁) (稲子南壁) (三伏~荒川岳) (聖岳~百間洞) 雪上訓練合宿富士 |
南ア、荒川東尾根~赤石岳 (赤岳) (西穂高) (天狗岳) (赤岳) (摩利支天、南山稜、南西稜) |
春山合宿 南ア全山縦走 全山縦走隊、 光岳~聖~赤石~塩見~北岳~甲斐駒・仙丈岳 聖隊、 聖岳~赤石岳 三伏隊、 三伏~高山裏~塩見岳 北沢隊、 北岳、甲斐駒、仙丈岳 春山合宿、 吾妻スキー登山 |
1965年 昭40 |
18名 | 巻機山~越後駒ヶ岳 栂池~白馬岳 尾瀬、平ケ岳スキー登山 赤谷山~大窓~小窓~三ノ窓~剱岳 新人合宿八ヶ岳全域 笛吹川東沢、 白馬岳、 木曾駒ヶ岳、 丹沢エビラ沢、 谷川マチガ沢 (丹沢悪沢)(セドノ左俣) (稲子南壁) (飯豊山) (谷川マチガ沢) (槍ヶ岳北鎌尾根) |
夏合宿、 北ア雲ノ平集中 朝日~白馬~東沢乗越 五竜~東沢~雲ノ平~笠ヶ岳 剱~薬師~雲ノ平~槍~穂高、 蝶~常念~大天井~北鎌~槍~穂高、 薬師~黒部源流~槍ヶ岳 穂高涸沢RC、 滝谷2,3,4四尾根、ドーム中央稜、三峰フェ-ス飛騨尾根涸沢槍東稜、北尾根、東稜 (日原川流域) (北岳バットレス1、3、4尾根、中央稜) |
冬山偵察、横尾尾根~槍、 飯豊全山縦走 戸隠、椐花川流域 空木~宝剣~駒 (飯豊) (稲子南壁) (笛吹川東沢) (前穂東壁) (大雲取谷) 北岳バットレス、1、4尾根、白根三山 穂高涸沢定着、 滝谷2尾根、C沢下降、東稜、北尾根、ジャン飛騨尾根、 (春山偵察、北穂~槍~燕岳) (春山偵察、燕岳) (冬山横尾荷上げ) (春山偵察、中崎尾根) 雪上訓練合宿富士 |
北ア、横尾尾根~槍ヶ岳 スキー合宿猪苗代、 (赤岩尾根~鹿島槍ヶ岳) |
春山合宿、 北ア縦走、燕~槍ヶ岳(大天井岳まで)、 サポート中崎尾根~槍ヶ岳 春山合宿 尾瀬、至仏山、平ケ岳 スキー登山 |
1966年 昭41 |
11名 | 雪上訓練、谷川マチガ沢一ノ沢 新人合宿八ヶ岳 朝日連峰縦走、 奥秩父縦走 中央アルプス縦走 谷川岳周辺、 (仙ノ倉岳西ゼン) (奥秩父小常木谷) |
夏合宿、 知床半島縦走 北ア剱~穂高岳、 北ア針ノ木~槍ヶ岳 南ア全山縦走 穂高涸沢RC 滝谷1、2、3、4尾根 クラック尾根、ドーム中央稜、北壁、北尾根、三峰フェース、飛騨尾根 (谷川一ノ倉四ルンゼ、南稜) (剱、三ノ窓、内蔵助平~黒部) (石鎚山) (西穂~奥穂高岳) |
(岩手山、八幡平) (春山偵察、槍~蒲田) (巻機山米子沢) (谷川堅炭岩、マチガ東南稜) (阿弥陀南稜~赤岳) (前穂東壁、四峰甲南、明大) (西丹同角沢) (尾瀬)(帝釈山) (西丹、中川地獄棚沢、箱根屋沢、沖箱根沢、西沢本棚沢) (安達太良山) (巻機~朝日~谷川マチガ沢 (飯豊冬山偵察) (南ア、春山偵察赤石岳 (奥秩父) 雪上訓練合宿富士山 |
北ア、燕~槍ヶ岳~横尾尾根縦走 南ア、北岳 (白根三山縦走) 石打スキー会山行 (金峰山) |
南ア縦走 北岳~塩見岳~三伏峠 赤石~荒川岳~三伏峠 蔵王スキー会山行 |
1967年 昭42 |
9名 | 槍北鎌尾根、 烏帽子~槍ヶ岳 越後荒沢岳~越後駒ヶ岳 神津牧場 新人合宿 鳳凰三山~甲斐駒ヶ岳 鳳凰三山 甲武信岳~金峰山 八ヶ岳全山縦走 (奥秩父大常木沢) (西丹、同角沢)(西丹悪沢) (飯豊山) (越後西ゼン、東ゼン) (谷川ゼニ入沢右俣、湯檜曽川本流) (谷川シンセン沢、堅炭岩) |
夏合宿 谷川~巻機~荒沢~銀山平、 日高山系縦走、ポロシリ岳~札内川 北ア、白馬~前穂高岳 穂高涸沢RC 滝谷1、2、3、4、クラック尾根、P2フランケ、ドーム中央稜、北尾根、三峰フェース、四峰甲南、明大、飛騨尾根、涸沢槍東稜、 (日原川、鷹巣谷、犬麦谷、滝谷、加一川) (越後三山) (木曾御岳) (尾瀬) (奥只見川支流、北ノ又川本流) (江戸沢~上州武尊山) |
(八ヶ岳立場川、地獄谷、赤岳沢、権現沢) (巻機山) (新穂高温泉~笠ヶ岳穴毛谷) (槍北鎌尾根) (穂高滝谷1、3、クラック、ドーム西壁) (北岳バットレス、1、4、中央稜) (常念~槍~笠ヶ岳) (常念~涸沢~北尾根、三峰フェース) (阿弥陀岳南稜) (稲子岳南壁) 雪上訓練合宿巻機 |
八ヶ岳岳縦走、親湯~天狗~赤岳鉱泉、赤岳、阿弥陀岳 横岳西壁、石尊稜、三又峰ルンゼ、 (谷川岳) |
北ア、縦走隊、 抜戸岳南尾根~槍ヶ岳~北穂高縦走、(キレットまで) サポート隊、中崎尾根~槍ヶ岳 尾瀬スキー登山 |
1968年 昭43 |
5名 | 爺岳東尾根~鹿島槍ヶ岳 雪上訓練谷川芝倉沢 蓬峠~朝日~巻機山 新人合宿、 宝剣~空木岳 権現岳~赤岳、 白毛門~谷川岳 |
夏合宿、 日高山系、エサオマントッタベツ川~札内川 北ア、白馬~針ノ木、 北ア、剱~白馬岳 穂高涸沢RC 滝谷1,2,4、クラック尾根、四峰甲南、明大、三峰フェース、飛騨尾根 |
(奥秩父小常木谷、井戸沢) (乾徳山) (唐松~鹿島槍~爺岳) (三つ峠、つづら岩、鷹取(三伏峠~赤石岳) (稲子南壁) (白根三山) (丹沢、水無~蛭が岳~ユーシン) (西丹、下棚沢、悪沢) (立山スキー、雄山) (甲斐駒、仙丈岳) (稲子南壁) (鳳凰~甲斐駒ヶ岳) (角兵衛沢~鋸岳) 雪上訓練合宿富士 |
北ア、ブナ立尾根~烏帽子岳~野口五郎岳~赤牛岳 AC隊、サポート隊 |
北ア縦走、 爺岳東尾根~鹿島槍ヶ岳 八甲田スキー登山 |
1969年 昭44 |
5名 | 新人歓迎 丹沢、早戸川、原小屋沢、大滝沢、 (巻機山) (北鎌尾根~槍~北穂高岳) (西丹、三国山稜) 新人合宿、八ヶ岳縦走 (つづら岩RCT) (鷹取山(RCT) (丹沢セドノ沢右俣、戸沢左俣) |
(白毛門~朝日~蓬峠~谷川岳) (槍沢~大喰~北穂~奥穂~岳沢) (水無川本谷) (谷川一ノ倉南稜) (小常木谷) (丹沢やぶ尾根~東沢~檜洞丸~用水沢)(丹沢キューハ沢) 夏合宿 北ア、 大日尾根~立山、剱岳 知床、 1)羅臼、海岸線、知床岳 2)遠音別岳~羅臼岳 |
記録なし | 北ア、杓子尾根~杓子岳、白馬鑓ヶ岳、白馬岳 | 北ア、鹿島槍東尾根~鹿島槍ヶ岳(中退) 南ア、早川尾根~甲斐駒ヶ岳、仙丈岳 |
1970年~1977年 少数精鋭での10年 |
創立当時には200名余の会員を擁した山の会でしたが、この頃には20~30名と激減していました。しかし会員数は減少いたしましたが、義務山行とされてきた新人合宿、夏合宿、雪上訓練合宿も加えて、冬山、春山、岩登りが会山行としてすっかり定着した山の会になっていました。もはや「大衆性」や「研究性」といった会の創立理念を議論するまでもなく、専ら登山そのものに集中しようという山岳会に変身していたと言えます。そうした中で海外遠征に憧れ、それを目標に登山技術の研鑽に励んだ会員も多かったようです。 この時代の夏合宿は北ア、南アの長期縦走が主ですが、遠く北海道の山にも1パ-ティを組む事を定例化していました。いずれも冬山、春山に向けて基礎体力養成と技術習得を目標に捉えた合宿でした。 富士での雪上訓練を経て行われる冬山はサポート隊を伴った縦走が主流をしめていました。これまでも山の会ではメインパーティの目的を成功させるためにだけ、サポート隊を組むような考えはとっていませんでしたが、この時代も積雪期登山計画の中に 難易度と日程に応じて多くのメンバーが参加可能な方法として「サポート隊」を位置付けていたのが特徴でした。春山は年度の総決算として位置付けていた山行で、卒業を控えた会員にとっては文字通り「山の会生活の総決算」でした。 この時代の個人山行を含めた岩登り山行も活発に行われていました。北岳バットレス、北穂高滝谷、前穂高東壁、四峰正面、剱岳・八ッ峰六峰A,B,C,Dフェース、チンネ左稜線、屏風岩東壁雲稜ルート、谷川岳・一ノ倉沢・衝立岩中央稜、烏帽子沢奥壁凹状岩壁、変形チムニー、幽ノ沢V字状岩壁右ルート、明星山・南壁、正面壁、加えて積雪期の前穂北尾根、八ヶ岳のヴァリエーションルートなど多彩です。 |
冬山・後立山連峰縦走 1977年12月 | 爺岳東尾根を行く 1977年冬山会山行 |
1971年 ヒマラヤ ヒンズー・ラジ ツィー1峰遠征隊 |
海外遠征では1971年、森田、豊田、須田、西山の現役学生4人だけでヒマラヤの未踏峰ヒンズー・ラジ ツイー1峰(6660m)に挑みました。この頃のヒマラヤはネパールとカラコルムが登山禁止の状態で入山が不可能であったため、ヒンズー・クシュは登山ラッシュで、この地域の6~7000m峰はほとんど登られていました。調査の結果、その山域にあってヒンズー・クシュとは一線を引いて分かれた山脈ヒンズー・ラジのツィ1峰が未踏峰であることが判明しOB会の全面的なバックアップを得て、遠征が実現いたしました。 6月30日先発がバイカル号で出発、7月1日後発が空路出発、8月8日30名のポーターを伴ってキャラバンを開始、8月20日に4000m地点にBCを設営、8月22日C1建設(4400m)29日C2建設(4700m)ルートは北稜にとる。9月1日C3建設(5300m)9月6日C4建設(5600m)9月16日第1次アタック(6000mより撤退)9月21日第2次アタック(6300mより撤退)9月27日登山活動終了、10月8日ラワルピンディ到着。 |
ヒンズー・ラジ ツィー1峰 (6660m未踏峰) | ヒマラヤ鉄の時代にふさわしくシェルパレスで現役学生だけで、ヴァリエーションルートともいえる急峻な北稜に2回にわたるアタックを試みましたが、最高到達点6300mで登頂を断念いたしました。初登頂は3年後の1974年に雲標倶楽部の2度目の挑戦によって南面からなされました。 | |
C3(5300)付近からの北稜取付地点 |
1973年 アンデス縦断登山隊 |
隊長は和田OB、副隊長は納見OB、登攀隊長は井村OB、姫野、豊田、北岡OBに現役学生の宇田(山の会外)平井の8名の編成による「アンデス縦断登山隊」が派遣されました。計画は2台の車両で約6ヶ月にわたってベネズエラからパタゴニアまでパン・アメリカン・ハイウェーを辿り、更にベネズエラ、コロンビア、ペルー、ボリビア、チリ、パタゴニアの各アンデス山群の山々を登攀する壮大な計画でした。ベネズエラ・アンデスでは最高峰のピコ・ボリバール(5007m)などを登り、コロンビア・アンデスのコクイ山群では数々の成果を挙げました。 その後、エクアドルで車両1台が転落事故を起こし、2名が負傷入院、金品の盗難にもあって残念ながら計画を中断せざるを得ない結果となりました。 国内であまり注目されることの無かったコロンビア・アンデスのコクイ山群でのルート踏査と登攀活動がこの遠征の中核をなすもであり、20日間の悪天候の連続に悩まされながらも、プルピト峰(5220m)無名峰(約5000m)などの登頂に成功いたしました。登山活動の様子を「コロンビア・アンデス研究 コクイ山群踏査の記録」と題した活動報告書を。登攀隊長の井村OBが「岳人」1976年350号に6ページにわたって紹介しています。 |
BCからコロンビア・アンデス プルピト峰を望む | SIERRA NEVADA DE COCUY COLOMBIA |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1970年 昭45 |
2名 | 記録なし | 夏合宿 南ア全山縦走 黒戸尾根~甲斐駒~仙丈~北岳~聖~光~寸又侠 北ア全山縦走 小川温泉~白馬~欅平~劒~槍~北穂 針ノ木~槍 |
記録なし | 北ア縦走 横尾尾根~槍~野口五郎~高嵐尾根 サポート隊、高嵐尾根~水晶岳 |
北ア縦走 中崎尾根~槍~奥穂 (槍で中退) サポート、涸沢岳西尾根~奥穂 |
1971年昭46 | 4名 | 飯豊主脈縦走、 北鎌尾根~槍~北穂高岳 会津朝日~会津駒ヶ岳 穂高涸沢定着 北尾根、三峰フェース、 屏風岩東稜 新人合宿、 白毛門~巻機山 平標~谷川~蓬峠 桂木場、木曽駒~空木岳 八ヶ岳全山縦走 蓼科山~編笠山 |
夏合宿 北ア、針ノ木~白馬岳」~日本海 北ア、蓮華温泉~白馬~針ノ木~平~赤牛~槍~常念岳 日高山系、布札別~富良野岳~トムラウシ~石狩岳~十勝岳 |
雪上訓練合宿富士 | 北ア、遠見尾根~五竜岳 | 南ア縦走 北岳~塩見岳 |
1972年昭47 | 5名 | 後立山、 荒沢岳~尾瀬 霞沢岳、 妙高山 新人合宿 平標~谷川~蓬峠 白駒池~赤岳~小淵沢 大清水~黒岩~尾瀬沼 桂木場~木曾駒~空木岳 |
夏合宿 南ア、仙丈~北岳~塩見~赤石~聖~茶臼岳 北ア、黒部上ノ廊下遡行 日高山脈縦走 |
穂高涸沢RC、 滝谷ドーム中央稜、四峰甲南、ジャンダルム北面リッジ |
北ア縦走 遠見尾根~五竜~鹿島槍~赤岩尾根 サポート縦走、遠見尾根~五竜~唐松~八方尾根 爺岳東尾根~鹿島槍~赤岩尾根 |
北ア縦走 中崎尾根~槍~北穂 涸沢、 サポート、涸沢岳西尾根 |
1973年昭48 | 8名 | 丹沢悪沢、 新人歓迎、戸沢出合 武甲山、 水無本谷 烏帽子~槍ヶ岳 笛吹川東沢~甲武信岳 奥多摩火打石谷 新人合宿 平標~谷川~蓬峠 白毛門~巻機山、 稲子湯~天狗~赤岳~小淵沢 至仏~燧ケ岳~会津駒ヶ岳 木曾駒~檜尾岳、 (北岳バットレス) |
(槍北鎌尾根) 夏合宿 北ア、燕~槍~薬師~剱~欅平 愛山渓~旭岳~五色が原~石狩岳~岩間温泉~十勝三俣 (九重~祖母~傾) (芦別岳) |
(太郎平~雲ノ平~槍) 穂高涸沢RC 北尾根、滝谷2尾根、ドーム中央稜、北壁Aフェース、四峰明大、松高、L字洞穴、ジャン飛騨尾根 (白根三山) (北岳バットレスCDガリー大滝四尾根) (白根三山) (巻機山米子沢) (奥多摩日陰沢) (木曾駒~しらび平) (畦が丸~犬越路) (稲子岳南壁) 雪上訓練合宿富士 |
(八ケ岳横岳西壁 三又峰ルンゼ他) 長塀尾根~蝶ヶ岳 (吊尾根~北岳) (丹沢ザンザ洞) |
中ア縦走 桂木場~木曾駒~空木岳~池山尾根 サポート、池山尾根~空木岳 (八ヶ岳) (赤岳東壁センターリッジ) (雲取~飛竜) |
1974年昭49 | 5名 | 新人歓迎、丹沢戸沢出合 (丹沢小川谷廊下) 長者原~飯豊~川入り 明神東稜~奥穂高岳 白馬~不帰岳、 (谷川一ノ倉南稜・中央カンテ) (甲斐駒・仙丈岳) 新人合宿、 谷川~蓬峠~朝日~白毛門、 白毛門~巻機、 天狗岳~赤岳 (谷川幽ノ沢V字右ルート) (丹沢小川谷) (荒沢岳~八海山) (越後駒ヶ岳~八海山) (奥多摩水根沢) (大常木谷) |
夏合宿 南ア、夜叉神~仙丈~北岳~塩見~赤石~聖~茶臼岳 北ア、蝶~槍~薬師~立山~剱岳 剱岳RC 六峰A、B、C、Dフェース、チンネ左稜線 (穂高、前穂東壁、滝谷ツルム右岩稜、四峰新村北条、滝谷ドーム中央稜) (欅平~仙人池~剱沢~薬師~三俣蓮華~笠ヶ岳) |
烏帽子~鷲羽~新穂高 (谷川一ノ倉烏帽子奥壁変形チムニー) 穂高涸沢RC 四峰、明大、中大、松高、甲南、新村北条 滝谷3、4、ドーム北壁 (谷川鷹ノ巣A沢) (鹿島槍~白馬岳) (蓼科山~麦草峠) (北岳バットレス大十字莵クラック) (北ア烏帽子岳) (笛吹川西沢~金峰山 (北八ヶ岳) (茶臼~赤石~北岳) (転付~悪沢~聖岳) (鹿島槍ヶ岳) (聖~赤石) (丹沢滝郷沢・同角沢) (聖~赤石岳) 雪上訓練合宿巻機 |
(赤岳~編笠山) (阿弥陀岳北稜、広河原沢) (角兵衛沢~鋸~甲斐駒ヶ岳) 北ア縦走 爺岳東尾根~鹿島槍ヶ岳~赤岩尾根 (浅間山) (唐松~五竜岳) (笛吹川東沢) (越沢バットレス) (黒沢・火打スキー登山) |
南ア、西沢渡~聖岳(中退) (甲斐駒・仙丈岳) |
1975年昭50 | 4名 | 槍見~笠~槍~船窪岳 長者原~頼母木~飯豊山 越後駒ヶ岳~丹後山 (天狗~赤岳) (穂高屏風岩東壁雲稜ルート) 新人合宿、 白毛門~巻機山 天狗岳~赤岳 (谷川一ノ倉衝立中央稜) 雪上訓練合宿一ノ倉 (谷川~平標山) (空木~木曾駒ヶ岳) |
(火打石谷) (奥多摩天狗岩) (谷川一ノ倉烏帽子奥壁凹状壁) 夏合宿 北ア、大日~剱~五色~針ノ木~白馬岳~日本海 愛山渓~旭岳~トムラウシ~十勝~富良野~布札別、 (穂高涸沢RC、北尾根、滝谷1尾根、ドーム中央稜、四峰明大、中大、新村北条) |
剱・真砂沢RC 六峰C、Dフェース、チンネ中央チムニー、源次郎尾根、八峰 (谷川岳) (穂高奥又、四峰松高、東壁右岩稜~Aフェース) (越後駒~荒沢岳) (北岳バットレス4尾根 (尾瀬) (北岳) (金峰~雲取山) (槍~穂高~岳沢) (白馬~唐松岳) (明星山P5ドームルンゼ状フェース、P6南壁左岩稜) (黒戸尾根・甲斐駒~鋸岳) 雪上訓練合宿富士 |
北ア縦走 杓子双子尾根~白馬岳~栂池 サポート、栂池~白馬岳 (八ヶ岳、中山尾根~赤岳~権現岳) (那須岳) (金峰山) (前穂北尾根、中退) (笛吹川東沢) (尾瀬燧ケ岳・至仏スキー登山) (阿弥陀岳南稜~赤岳~天狗岳) (赤岳・横岳) (唐松~五竜岳) |
北ア、中崎尾根~槍ヶ岳 (谷川岳) (唐松岳) |
1976年昭51 | 8名 | (丹沢滝郷沢)(丹沢悪沢) 立山~薬師~黒部五郎~槍ヶ岳、 越後駒~中ノ岳 北鎌尾根~槍ヶ岳 (木曾駒~桧尾岳) (白馬岳主稜) (白根三山) 新人合宿 平標~谷川~蓬峠 天狗岳~赤岳 (谷川一ノ倉南稜、幽ノ沢V字右ルート) 谷川一ノ倉雪上訓練合宿 (谷川一ノ倉南稜、衝立岩中央稜) (巻機山) (丹沢水棚沢) (稲子岳南壁) |
(黒戸尾根~甲斐駒) 夏合宿 北ア、大滝山~大天井~槍~烏帽子~鹿島槍~白馬~朝日~小川温泉 南ア夜叉神~仙丈~北岳~塩見~赤石~茶臼岳 北ア、蓮華温泉~白馬~船窪岳 (荒川三山~赤石岳) (笛吹川東沢) (巻機山米子沢) (西穂~北穂高岳) (屋久島) (穂高RC、滝谷4尾根、ドーム西壁北壁、グレポン、P2フランケ、四峰松高) |
穂高涸沢RC、 滝谷3尾根、ドーム中央稜、悪天のため登攀は1日のみ (蝶が岳) (丹沢広沢寺) (天狗岳~赤岳) (谷川岳) (尾白川~甲斐駒ヶ岳~鋸岳) (谷川一ノ倉烏帽子奥壁中央カンテ) (槍~笠ヶ岳) (中房~蝶ヶ岳) 雪上訓練合宿富士 |
北ア縦走 燕岳~常念岳~蝶が岳 サポート、徳沢~蝶kェ岳~常念岳 (阿弥陀岳南稜) (黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳) |
北ア、槍見~笠ヶ岳(中退) (北ア、高嵐尾根~水晶岳) (北ア、笠ヶ岳) (北ア、白馬スキー登山) |
1977年昭52 | 7名 | (丹沢キウハ沢、大滝沢、本谷沢、小洞沢、伊勢沢) 新人歓迎戸沢出合 (丹沢、モミソ、セドノ沢左俣) 六十里越~越後駒ヶ岳~巻機山 朴差岳~飯豊本山~川入 (火打石谷、小常木谷) 新人合宿、 甲斐駒・仙丈 万太郎~谷川~白毛門 (谷川一ノ倉烏帽子奥壁変形チムニー) (朝日連峰) 雪上訓練合宿一ノ倉沢 (丹沢滝郷沢、水棚沢) |
(燕~槍~笠ヶ岳) (北鎌尾根~槍ヶ岳) 夏合宿 北ア、剱~薬師~槍~北穂~前穂高岳 南ア北岳~塩見~赤石~光岳 (白馬三山) 穂高涸沢RC 四峰甲南、明大、滝谷1、3、ドーム中央稜、4、クラック尾根、ドームダイヤモンドフェース (縞枯山~赤岳) |
(穂高、前穂北尾根、四峰新村北条) (折立~雲ノ平~赤牛~烏帽子岳) (唐松~白馬岳) (巻機山米子沢) (雲取山) (北鎌~槍~南岳~天狗原) (明星山南壁左フェース、正面壁、P6東稜、 P5ドームルンゼ状壁) (針ノ木~冷池) (唐松~鹿島槍岳) (針ノ木~七倉岳) (北鎌尾根~槍ヶ岳) (唐松~爺岳岳) (唐松~鹿島槍~爺岳) 雪上訓練合宿八方・不帰岳 |
北ア縦走 (前半)八方尾根~唐松岳~五竜岳~鹿島槍kェ岳~冷池 (後半)爺岳東尾根~冷池~針ノ木~蓮華岳 サポート、爺岳東尾根~冷池~鹿島槍ケ岳~赤岩尾根 (阿弥陀岳~天狗岳) |
ー |
1978年~2000年 灯火を守った20年 |
著しい会員の減少の中で、苦悩しつつも灯火を消すことなく今日の「山の会」に繋げた20年でした。「50年周年記念誌」発刊にあたり記録の収集も含めて最も苦慮した20年間だったと記念誌には記されています。少ない会員は全国各地、遠く海外で「働き盛り」の日々を重ねる年代でOB会活動にも疎遠にならざるを得ない環境にあることも理解できるとも記念誌には記されています。 この20年間に会員として卒業を迎え、OB会である「稲門山の会」に名をとどめる会員は70名ほどにすぎません。実働会員数は前半期で10名前後、後半期では数名、卒業生ゼロという時期も経験しました。それでも少数精鋭の10年の路線を継承して、これも最初の5~6年は少ない会員のもとで春山、夏山、岩登り、雪上訓練そして冬山にいたる年間サイクルを守り続けていました。特に少人数で北アの冬山、春山はラッセル一つを考えても大きな困難に見舞われたと想いますが、積極果敢に挑戦していました。 しかし会員数の減少はいかんしがたく、次第に低調な活動状況に陥り、最後の5年間は実質的に休眠期となり、この間の卒業生も10人ほどでした。 |
横尾尾根から槍ヶ岳 1978冬山 | 剱岳・八ッ峰6峰フェースの岩登りを終えて 1981年9月 |
雪田に憩う 平標山での新人合宿から 1982年5月 | 夏合宿 立山の稜線を行く 1989年8月 |
甲斐駒ヶ岳にて ここから長い縦走が始まる (1990年8月 夏合宿) |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
1978年昭53 | 3名 | 穂高RC定着 屏風岩東稜、雲稜ルート 滝谷クラック尾根、ドーム 新人合宿 燕~常念~蝶ヶ岳 |
夏合宿 北ア剱~欅平~唐松~白馬~朝日岳 北ア槍~双六~雲ノ平定着(赤木沢、温泉沢、赤牛沢五郎沢)~薬師~立山~剱岳~欅平 剱三ノ窓RC定着 チンネ、八峰周辺 RC定着、穂高周辺 |
RC定着、明星山南壁 (白根三山) 冬山偵察、 槍硫黄尾根~笠ヶ岳 雪上訓練合宿富士 |
北ア縦走 横尾尾根~槍ヶ岳~中崎尾根 |
八ヶ岳全山縦走 (北ア縦走 天狗尾根~鹿島槍ヶ岳~爺岳) |
1979年昭54 | 5名 | 新人合宿 万太郎~谷川~笠ヶ岳~白毛門 |
夏合宿 北ア、剱~薬師~雲ノ平~槍~北穂高岳 北ア、烏帽子~針ノ木~鹿島槍~白馬岳 RC定着、穂高屏風岩 |
前穂東壁 雪上訓練合宿富士 |
北ア、早月尾根~剱岳 |
北ア、爺岳東尾根~鹿島槍ヶ岳 |
1980年昭55 | 3名 | 新人合宿 天狗岳~赤岳~編笠山 |
夏合宿 南ア、北岳~塩見~赤石~聖~光岳 |
(稲子岳南壁) 冬山偵察、燕~大天井~常念~蝶ヶ岳 雪上訓練合宿富士 |
八ヶ岳縦走 天狗岳~赤岳 |
(湯の丸スキー登山) 北ア縦走 燕岳~常念岳~蝶ヶ岳~上高地 |
1981年昭56 | 4名 | 飯豊、門内~飯豊主峰~三国岳~飯豊温泉 新人合宿、 黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳、 巻機~朝日~白毛門 雪上訓練一ノ倉ニノ沢 |
夏合宿 北ア、槍~雲ノ平~薬師~剱岳~欅平 (南ア、茶臼~聖岳) |
剱、六峰Cフェース 源次郎 冬山偵察、南ア、西沢渡~聖~茶臼岳~畑薙 (北岳バットレス4尾根) 春山偵察、爺岳~鹿島槍ヶ岳 雪上訓練合宿富士 |
南ア縦走、 西沢渡~聖岳~茶臼岳~畑薙ダム (阿弥陀岳北稜、赤岳南峰リッジ) (金峰山~甲武信岳~十文字峠) |
北ア縦走 爺岳南尾根~爺岳~鹿島槍ヶ岳 (神楽峰スキー登山) |
1982年昭57 | 1名 | (笠~三俣蓮華~槍ヶ岳) 新人合宿、平標~谷川岳 雪上訓練合宿一ノ倉 |
天狗岳~赤岳~編笠山 夏合宿、 北ア、槍~針ノ木~鹿島槍~白馬~朝日岳 |
剱八峰、チンネ左稜線 (明星山、P6南壁、左稜線、P5ドーム正面ルンゼ状壁) (北鎌~槍~西穂高) 春山偵察、常念~蝶ヶ岳 冬山偵察、五竜岳・唐松岳 雪上訓練合宿富士 |
北ア縦走 遠見尾根~五竜岳~唐松岳~八方尾根 (北八天狗岳) (八ヶ岳、旭岳東稜、赤岳主稜、硫黄岳) |
(雲取山) 北ア縦走 上高地~蝶ヶ岳~大天井岳~燕岳 鳳凰三山 (白毛門~宝川スキー登山) |
1983年昭58 | 3名 | (丹沢小川谷廊下) (栂池~蓮華温泉~小蓮華 スキー登山) 新人合宿、 天狗岳~赤岳~権現岳 |
夏合宿 南ア、畑薙~茶臼岳~聖岳~西沢渡 |
(伊豆城山南壁) 雪上訓練合宿富士 |
甲斐駒・仙丈岳 (南ア縦走、仙丈岳~塩見岳) (蔵王、刈田岳、熊野岳スキー登山) |
ー |
1984年昭59 | 1名 | (巻機山スキー登山) | ー | 黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳・仙丈岳 白根三山 |
ー | 南ア、黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳 (尾瀬スキー登山) |
1985年昭60 | 3名 | ー | 白根三山 | 阿弥陀岳~赤岳~権現岳~編笠山 | ー | ー |
1986年昭61 | 2名 | ー | 夏合宿、 南ア、北岳~塩見岳 |
地蔵岳~飯豊山~北股岳~門内岳 |
雪上訓練合宿富士 | ー |
1987年昭62 | 無 | 新人合宿、 赤岳~硫黄岳 |
夏合宿、 北ア、太郎兵衛平~雲ノ平~槍ヶ岳 |
岩菅山 木曾駒ヶ岳 日光白根山 |
(北ア、燕岳) | (乾徳山) (縞枯山~中山峠) |
1988年昭63 | 3名 | 新人合宿、 瑞牆、金峰山 中山峠~赤岳~阿弥陀岳 (氷川屏風岩) |
夏合宿、 北ア、徳本峠~槍~鹿島槍~白馬岳~朝日岳~親不知 北ア、鹿島槍~白馬岳~親不知 (白山) |
万太郎山、 甲斐駒ヶ岳 大菩薩 (丹沢) 燕~大天井~常念岳 日光、太郎山、白根山 |
(丹沢) (双子山) 阿弥陀岳~硫黄岳~天狗岳 (ネパール・ルルクラ~カラバタールトレッキング) |
(由布岳、九重山、宮之浦岳、永田岳) |
1989年 平1 |
1名 | 越後駒ヶ岳~谷川岳 巻機山~谷川岳 新人合宿、 赤岳~阿弥陀岳 |
夏合宿 北ア、剱岳~薬師~三俣蓮華~槍ヶ岳~南岳 北ア、立山~槍ヶ岳 (北岳バットレス) (大雪、羅臼、利尻、トムラウシ、後方羊蹄山) |
(雲取山) (石鎚、剣山) 日光白根山, 北ア、爺岳 南ア地蔵岳、早川尾根 鳳凰三山 |
雪上訓練合宿富士 北ア、燕岳 |
(開門岳、宮之浦岳~永田岳、韓国岳~高千穂岳、久住山~大船山、祖母山~傾山) |
1990年 平2 |
2名 | (毛勝山) 雲取山 谷川~万太郎~平標山 赤岳~権現岳~三つ頭 |
(丹沢葛葉川本谷) 夏合宿、 南ア全山縦走 |
(トルコ、エルジェス山トレッキング) 剱岳RC、源次郎、六峰Cフェース剣稜会、Bフェース京大ルート (パキスタン・ウルタル氷河トレッキング) 苗場山、 至仏山、 飯豊山 金峰~甲武信、三つ峠 |
雪上訓練合宿富士 木曾駒ヶ岳 |
ー |
1991年 平3 |
10名 | 丹沢、 谷川・西黒沢スキー登山 槍ヶ岳 女峰山 |
夏合宿 北ア、剱~薬師~三俣蓮華~槍~前穂~岳沢 (丹沢源次郎沢) (神威岳・幌尻岳、クワウンアイ川~トムラウシ~十勝岳) |
(ネパール・ランタン谷~ゴサインクンド~ヘランプートレッキング) 白根三山 白根三山 |
雪上訓練合宿富士 南ア縦走、白根三山 |
(アコンガクア) |
1992年 平4 |
3名 | 硫黄岳~赤岳 | ー | ー | ー | ー |
1993年 平5 |
7名 | ー | 夏合宿、 北ア、烏帽子~水晶~雲ノ平~抜戸岳 |
奥穂高 | ー | ー |
1994年 平6 |
6名 | 赤岳 | 夏合宿 北ア、燕岳~槍~針ノ木~鹿島槍~白馬~朝日岳~日本海 後発、唐松~白馬~朝日岳 |
国師岳~甲武信岳~雁坂峠 | ー | ー |
1995年 |
4名 | 巻機山 | ー | ー | ー | ー |
1996年 |
1名 | 不明 | ー | ー | ー | ー |
1997年 |
1名 | 不明 | ー | ー | ー | ー |
1998年 |
5名 | 不明 | ー |
ー | ー | ー |
1999年 |
不明 | ー | ー | ー | ー | |
2000年 |
1名 | 不明 | ー | ー | ー | ー |
2001年~2005年 OBと共に復活を |
2000年、当時理工学部教授であった濱田OB(1965年卒・現理工学術院教授)が時の「山の会」会長でなかったら、あるいは「早稲田大学山の会」の灯火は消えていたかも知れませんでした.。 当時大学本部学生課から濱田教授のもとに、「山の会に連絡をとっても応答がない。活動の実態があるのか」という問い合わせがありました。その頃、新学生会館の完成を控えて、学内の各種団体への部室の割り当てが行われようとしていた時期でした。この出来事を機に濱田教授は部室の確保を始めとして多忙な教鞭と研究活動のかたわら山の会の再生に乗り出したのです。ゼミの学生を勧誘することから再建を開始し、装備更新のための資金援助活動などOBが加わりました。 2002年春には新人会員も迎えて、OB4人が同行し八ヶ岳で新人合宿が再開されました。夏には濱田教授が同行した穂高、その年の秋になると早くも現役会員だけの山行が、金峰、北岳、鳳凰三山で行われました。上田、鈴木、井村、渡辺OBの精力的なコーチ活動と当時の現役学生の意欲がからみ、2003年には初級の沢登りから夏の長期縦走、秋の岩稜縦走、富士の雪上訓練を経て冬山で天狗、春には赤岳~横岳の積雪期登山を行うようになりました。翌2004年にはOBたちも果たしえなかった穂高から日本海までの北ア完全縦走を果たし、冬には現役学生だけで南ア3000mの塩見岳の登頂、2005年には長躯光から甲斐駒までの南ア 完全縦走を行い、冬には南ア3000mの仙丈岳を登頂し、現代の学生山岳団体の中でもグレードの高い活発な登山活動を展開するまでになりました。 |
稜線で 出遭った恩田OBに見送られてO針ノ木へ、 2004年夏合宿 |
春山山行、赤岳のピークにて 2004年3月 |
涸沢に集結 2004年夏合宿 | 新人募集の準備を終えて 部室にて 2006年3月 |
年度 | 卒業者数 | 主な山行(合宿ないしはそれに準じるもの) ()内は個人山行、ハイク、ゲレンデRC、スキーは除く |
4,5月残雪期と6月 | 夏山 | 秋山 | 冬山 | 春山 | ||
2001年 平13 |
1名 | ー | ー | ー | ー | ー |
2002年 平14 |
6名 | 高尾山 丹沢、鍋割~塔ヶ岳 麦草~縞枯~北横岳~蓼科山 |
夏合宿 北ア、涸沢~奥穂~パノラマルート~上高地 |
金峰山、 大樺沢~北岳 (韓国岳) 鳳凰三山、 筑波山 |
ー | (開聞岳)、 御岳 |
2003年 平15 |
1名 | 丹沢鍋割、 大菩薩 丹沢モミソ沢、 尾瀬 瑞牆山、金峰山~国師岳 (谷川~茂倉岳) |
富士山、 (草津白根) 夏合宿 北ア、室堂~薬師~雲ノ平~槍ヶ岳 北ア、蝶~常念~槍ヶ岳 北ア、涸沢~北穂高 (伊吹山)、 (棒ノ折)、 |
(磐梯、吾妻、安達太良、那須) (赤岳~横岳~硫黄岳) (編笠山~赤岳~天狗岳) 赤岳~阿弥陀岳 (雲取山) 雪上訓練合宿富士 |
北八ヶ岳、黒百合~天狗岳 (雲取山) 金峰山・瑞牆山 |
八ヶ岳、赤岳~硫黄岳 |
2004年 平16 |
4名 | 新人歓迎大山 (大源太) 谷川マチガ沢雪上訓練、西黒尾根~谷川岳 新人合宿 黒百合~天狗岳~硫黄岳 赤岳鉱泉~硫黄 (丹沢焼山~蛭が岳~塔ノ岳) OB懇親山行高尾山 |
夏合宿 北ア、前穂高~槍~針ノ木~鹿島槍~白馬~日本海 北ア、鹿島槍ヶ岳~三俣蓮華~槍~穂高岳 北ア、燕岳~大天井~槍ヶ岳 北ア、涸沢~北穂高岳 |
天狗尾根~赤岳~真教寺尾根 (冷池~鹿島槍、白馬~杓子、剱~立山) (キリマンジェロ) (黒戸尾根~甲斐駒~仙丈~農鳥~奈良田) (月山) (北横岳~蓼科山) (大源太) 冬山偵察、三伏峠~塩見岳 木曾駒~宝剣岳 雪上訓練合宿富士 |
南ア、三伏峠~塩見岳 丹沢、塔ノ岳~丹沢~宮が瀬 |
八ヶ岳縦走 北横岳~天狗岳~硫黄岳 赤岳鉱泉~硫黄岳雪上訓練 金峰山・瑞牆山 |
2005年 平17 |
5名 | 高尾山 西黒尾根~谷川岳 (かぐら・みつまたスキー) (丹沢)、妙義山 新人合宿、美濃戸~赤岳 丹沢、 新人合宿、黒戸尾根~甲斐駒ヶ岳 那須 |
夏合宿 南ア全山縦走、光岳~赤石岳~甲斐駒ヶ岳 飯豊山 (奥多摩七つ石) |
(奥多摩笹尾根) (南大菩薩ハマイバ丸~滝子山) 丹沢葛葉沢本谷 (御前山、大岳、御岳) (鹿島槍ヶ岳~白馬岳~日本海) (川苔山~蕎麦粒山) (奥多摩、宮地山~晴明盤) 燕岳~大天井岳 (奥多摩佐野峠~奈良倉山~鶴寝山) 編笠山~権現~赤岳 (大菩薩) |
(丹沢大寺山~鹿倉山~大丹波峠) (大山) 北沢峠~仙丈岳 (奥多摩権現山入り口~畦が丸~高指山) (奥多摩大羽山~三頭山) (石砂山~石老山) (岡松ノ峰~大谷ヶ丸(奥多摩払沢ノ滝~浅間峰) |
(丹沢焼山~袖平山(幡野山~倉岳山) (丹沢大杉山~箒沢 |
2006年 平18 |
ー | 丹沢表尾根 (小金沢連峰) 両神山 編笠山~赤岳~硫黄岳 陣場山 |
(高柄山) 夏合宿 北ア、早月尾根~剱岳~薬師~黒部五郎~三俣蓮華~双六岳 (三伏~塩見岳~仙丈岳) (戸隠山) (瑞牆山~金峰山~甲武信岳~雲取山) |
ー | ー | ー |