青海チベット鉄道とヒマラヤ横断
 毎年個展を開いている写真の名手、40年卒の保屋野OBの2010年の紀行です。保屋野OBがチベットヤヒマラヤでどのような写真を撮られたか興味がありましたので、寄稿を依頼いたしました。

以下は保屋野OBの寄稿文と写真です。

10月13日 成田〜大連〜北京

航空会社の都合なのだろう、どうゆう訳か大連経由 乗り継ぎに3時間待って北京に着いた。市内には入らず空港近くのホテルにチェックイン。東京との時差は1時間


10月14日 北京−西寧

これからは高地に行くということで、朝全員血中酸素濃度をはかった。95〜100が適正値とのこと。以降毎日測ることが日課。

 11:50 北京発  中国南方航空 14:20 西寧着

西寧は青海省の首都、標高2275m。大抵の人がチベットに入る前の高度順応基地として滞在する。また 最近出来た青海チベット鉄道の出発点でもある。高層ビルが続々と建っている。マンションが多い。このようなマンションを持っている男でないと最近の中国娘は嫁に行かないそうだ。

昼食後タール寺を訪問。チベット仏教ゲルク派六大寺院の一つ。以前は政治と宗教の中心地として青海一帯に絶大な影響力を持ち4,000人もの僧侶がいたが、中華人民共和国以降は宗教が否定され規模は縮小された。それでもチベット仏教の学問センターとして500人以上の修行僧がここで生活しているという。

経堂の前では沢山の熱心な信者が五体投地をしながら周囲をまわっている。 ホテルは高層高級ホテル。夕食は鍋料理。牛,羊、春菊、レタス、キノコ、それにはるさめをラーメン風に入れて食べる


10月15日 西寧滞在 周辺の観光地を見物。

朝広場の脇を走るとチベット舞踊や太極拳をしている人達がいた。

西寧から100km離れたところにある日月山峠(3520m)を目指して国道109号(西蔵公路)を走る。両側は黄土高原の荒れた土地だが、植えられたポプラが成長し、黄葉した葉っぱが朝日に輝いて美しい。前方に雪をかぶった日月山脈が見えてきてやがて峠に着いた。ここは黄土高原とチベット高原の境、休憩地になっている。観光用のヤクがいて、写真と撮ると10元取られる。

青海湖に向かう。途中の草原に羊の群れが放牧されていた。真っ白な雪山を背景に羊の群れ、絶好な シャッターチャンスだった。

青海湖(3199m)遊覧。青海湖は中国最大の塩湖、周囲360km、広さ4,500平方キロ、琵琶湖の6倍。 シーズンは9月までで売店も閉める用意をしていた。

 21:40 西寧駅着。 いよいよ青海チベット鉄道に乗るのだ。

22:40出発。  我々の席は軟臥(なんが)と言われる4人のコンパートメント、2段でベットも柔らかく快適だ。他には硬臥の6人室と硬座というイス席があるという。



10月16日 ほぼ一日車窓からの風景を眺める。

チベット鉄道は2006年7月青海省西寧からチベットのラサ間1956kmが開通し約24時間かけ走る。

高度4000mから5000mの所を走り最高地点は5072m。列車の中は酸素と気圧が調整されているから 高山病の心配はない。チベット高原の中をひた走る。夏ならば美しい緑の大草原を走るが、この時期車窓は枯れた黄茶の草原だった。ここはココシリ大平原と呼ぶが、ほとんどが自然保護地区で人間の居住、開発は許されていない。地下には石炭やレアメタルが大量にあるらしい。

したがって希少動物がいる。チルー(チベットカモシカ)、ゴワ(チベットガゼル)、野生のヤク、オオカミもいる。部屋の中で休んでいても誰かが何かを見つけたと叫ぶと皆通路に飛び出してくる。

雪をかぶった高山、崑崙山脈が見える。ハイライトはの玉珠峰(6178m)。

朝食と昼食は食堂車で食べた。夕食は車内で弁当。

21:40 ラサ駅着。23時間という長旅であったが退屈はしなかった。


10月17日 ラサ滞在 市内の名所見物

7世紀チベット最初の統一王朝である吐蕃の国王はラサを都と定め王宮を築いた。その後地方政権が乱立しラサはチベットの中心ではなかったが、17世紀ダライラマ5世がチベットを統一し、ラサは再びチベットの首都となった。中国人民解放軍がラサを占拠しダライラマ14世がインドに亡命する1959年までラサは政治の中心であり、チベット族の聖地であった。

標高3650m、晴天が年300日、日差しが強く。年間の気温の高低差は少ないが1日の温度差がすごい。、平均気温がもっとも暑い6月でも16.5度、最も低い1月でもー1.2度、これは東京とかわらない。

ポタラ宮 マルポ・リ(紅山)の南斜面に建つダライ・ラマの宮殿、高い位置に立っているから市内のどこからもよく見える。高さ115mだから、中に入るとひたすら階段を上る。ベランダに出るとラサの街が一望できる。中国の他の都市と違って高層の建物はなく、整然としている。樹木がよく植えられていて今は黄葉していて美しい。宮を正面から見て、白宮はダライ・ラマの住居であり政治を行う場所、紅宮は歴代ダライ・ラマの霊塔(中にミイラがある)など宗教にかかわる部屋がある。夜はライトアップされている。

ジョカン(大昭寺) 2000年に世界遺産になった。チベット仏教の総本山。信者が目指すのはこことカイラス山。正門前の広場では数百人が五体投地をしながら祈り捧げている。この寺の周りがバルコル言われ巡礼路になっており時計回りにマニ車を回しながら、五体投地をしながら大勢の人達が回っている。道の両側は商店、土産物屋が並んでいる。

チベットには独立運動があって、数年前には暴動があった。そのため中央から軍隊、公安が派遣され街の各所に立って警備している。彼らは漢民族だ。カメラを向けなどしたら大変なことになる。チベット人は横目で見ながら触らぬ神にt祟りなしと決め込んでいるようだ。



10月18日 ラサ滞在 市内の名所見物

ノルブリンカ ダライ・ラマの夏の離宮、ここも世界遺産。いくつかのポタン(離宮)があるが注目はダライ・ラマ14世が実際に生活していたタクテンポタン。1956年竣工して夏の間ここで生活していたが、1959年3月ここからインドに旅立った。

セラ・ゴンパ ゲルク派大寺院。広い院内に大集会殿,学堂,僧坊があり1000人を超える僧侶が修行に励んでいる。日本人川口慧海もここで学んだ。寺は若い僧侶にとっては言わば学校、大寺院は大学に相当する。経典の解釈、仏像の制作は勿論、外国語も学ぶ。中庭で問答修行をしている。優秀な僧が先生役になり、1〜3人の生徒に独特のジェスチャーで経典について問いかける。生徒の答えが間違っていると大げさに叱る格好をする。部屋の中で黙々と一人で勉強するよりも生徒のほうも楽しいし、実際に身に着く。

夜、他のグループで高山病患者が出たということで、わがグループも急遽医者の健康診断があった。高山病とまでは行かなくても眠りが浅いとか小便に頻繁に起きるとか、平地の時とは違った症状が出ている。


10月19日 ラサ〜ヤムドク湖〜カローラ〜ギャンツエ〜シガツエ

ラサを出発。上海からカトマンズまでは中尼公路が通じている。約5,500kmで長い。カンカルツエからヤムドク湖、カロ―・ラに寄るため旧街道に入る。

ヤムドク湖 曲がりくねった急な山道を登るとカンパ・ラに着く。標高4749m、石塚ににタルチョがはためく。眼下に青く美しいヤムドク湖が出現する。ヤムドク湖とはトルコ石の湖という意味で水の色がまさにトルコ石の色だ。峠からは急な坂道を下る。湖の西側の道を走とやがて両側に雪を抱いた高山が現れる。

カロー・ラ ラは峠の意味。標高5045m。北側にノジン・カンツアン(7206m)頂上から峠近くまで氷河が覆いかぶさるように落ちている。この周囲は遊牧民の夏の放牧地で、峠に小屋があって赤ん坊を抱いた若妻が出てきて、写真を撮らせる。10元だが氷河をバックに子供を抱いたチベットの女、ちょっと絵になる。

峠を下る道では雪が降ってきて一時激しく降った。遠くに雪を抱いたヒマラヤ山脈が見える。

21:40 シガツエについた。標高3950m。今日の行程 340kmだった


10月20日 シガツエ滞在 市内および近郊観光

シガツエはチベット第2と都市、人口10万人。新市街には漢民族、旧市街にはチベット族が住みチベットの雰囲気が濃厚に残っている。メイン。ストリートには小さな店がびっしりと並んでいる。土産物屋が多いが、今は我々以外に観光客はいない。

タシルンポ寺 ラサのダライ・ラマ政権と対立したパンチェン・ラマが住持を務める寺院でチベットで最も活発な寺院と言われ、1000人以上の僧侶が生活している。料金を払って集会所に入ると数百人の僧侶たちが修行している。周囲に通路があって、壁際には仏像が沢山並んでいて信者達は念仏を唱えながら仏に喜捨して回っている。だから仏像の前には紙幣が山となっている。屋内原則写真は禁止だが20元払うと写真撮影が許された。周囲の仏像、僧侶の修行する姿が自由にとれた。カメラマンにとっては誠にありがたい。10世パンチェン・ラマは1989年に逝去、11世は20歳、現在フランスに留学中とのこと。

パルコン・チョーデ(白居寺)シガツエから100km南東にあるギャンツエにあって各派が共存するチベット仏教学問の中心地。正面の大集会堂は僧侶の修行の場、周囲は3,4mの極彩色の仏像が並んでいて迫力がある。集会堂の左には白色の巨大なスト―パ、パルコン・チョルテンがたっている。8階13層、77の部屋があり各部屋に仏像・壁画がある。

この寺は10元で写真OKだった。

 

このような田舎に来るとトイレは青空トイレになる。干上がった川があって隠れることのできる場所があるとか大きな岩陰があるとトイレ休憩だ。道路の右左に男女が分かれる。女性群はそろって物陰を探して用をたす。それが平気にならないと辺境の旅はできない。



10月22日 いよいよエベレスト・ベースキャンプへ
 

5時起床、暗い中食堂に行くとストーブが燃えていた。燃料は石炭。チベットの地下には石炭が豊富に有ると言う。まだ本格的には開発されていないから高価だ。一般家庭ではただ同然のヤクの糞を乾燥させて燃料としている。いずれは個人の家も石炭ストーブになってもっと暖かい生活が出来るようになるだろう。

6:00 賓館出発、まだ真っ暗だ。満月の月が皓皓と輝いている。そして満天に降るように星が光っている。日本で見る北斗七星が同じ位置に輝いているのが不思議だった。

検問所でパスポートのチェックを受けて、チョモランマ自然保護区に入る。急な坂道をどんどん登っていく。外はだんだん明るくなってきた。

 8:00 ギャウ・ラ峠、5200m。目の前にヒマラヤのパノラマが広がっている。

いちばん左がマカル―、そしてローツエ、チョモランマ、少し離れてチョーオユーの山塊、一番右手にはシシャパンマ峰、その素晴らしい景色に圧倒されてただ見とれるだけだ。やがて陽が射してきてチョモランマの壁が輝きだした。30分ほど刻々と変わるヒマラヤの姿をカメラに収めた。

峠を下ってロンボク村を目指す。荒涼たる緑の全くない山道を行くが、ときどきチョモランマが顔を
出す。

 11:35 ロンボク村着。世界で一番高い所(5000m)にあるロンボク寺がある。

小さな集落もある。食堂があって中に入るとストーブが焚かれていて暖かい。

普通はここでミニバスに乗り換えてベーキャンプまで行くのだが、ミニバスの用意がないということで、乗ってきたバスで行く。でこぼこの狭い道を大いに揺れながらゆっくりと走った。

 12:10 ベースキャンプ着。5220m 目の前、正面にチョモランマ。

はやる気持ちを抑えながら目の前の小さな丘に登った。これまで日数を掛けてこの高さまで来たので苦しさはないが急ぐと息が上がる。雲ひとつない快晴。何とラッキーなことか。

丘から岩のごろごろした荒れ地あって、それから先チョモランマの麓まで氷河が続く。そこから一気に北壁が聳え立っている。

風がものすごく強い。チョモランマ登頂にはこの風との戦いが大変なのだろう。

17:00 ギャウ・ラ峠に戻ってチョモランマとの別れを惜しむ。朝とは違った素敵な姿を見せてくれた。 

20:30 テインリー着 4390m。


10月23日 テインリー〜ニエラム〜国境の町ジャム



国道318号線を進む。今日も天気が良く、濃い青空に雪をかぶった山脈のコントラストが美しい。

11:45 タン・ラ峠 5050m.チョーオユーとシシャパンマの展望台だ。これらの山塊はとても大きくて雄大だ。

12:20 ニャラム 標高3750m 手打ち牛肉ラーメンとジャスミンティーの昼食。

これからは標高がどんどん下がり、緑がどんどん増してくる。ヒマラヤスギの大きな樹木もある。ときどき滝を配して急流が流れている。 

国境ゲートがあるコダリは1740m、ニャラムからコダリまでわずか40kmの道のりで2000m下るから道は山の斜面に造られた急カーブの連続だ。

15:30 国境の町 ジャム(樟子)に着いた。急な斜面にカラフルな美しい建物が建っている。ホテル・樟子賓館はきれいなホテルで昨日、一昨日の垢を落としてサッパリした。

夕食はネパール料理、焼きそば,唐揚げ、野菜スープ、トマト卵炒め、青菜等10日ぶりにアルコールを飲んだ。頑張れば酒を休むことも出来るんだと認識し日本でも時々実行している。


10月24日 国境を越えてネパールへ

国道・国際道路といってもすれ違いがやっと出来るような狭い道、出発して間もなく大型トラックが故障で片側を塞ぎ渋滞、その先では道が崩れ通れないという。やむを得ずバスを降りて歩く。国境まで6km。ところが商売上手な現地人、困っている客と交渉して自分たちのバンで客・荷物を運んでいる。それに乗って国境に到着、国境があくまで1時間以上待った。遅くなると事務所が閉まって今日中に国境通過が出来なることもあるという。

10時 中国を出国し,友諠橋を渡ってネパールに入国、ビザを取得して4WDに分乗して一路カトマンズへ。カトマンズまでは124km。中国との時差は2時間15分、日本とは3時間15分。

チベットの風景とは全く違う。道の両側は次から次にと住宅が続き、人々が働きあるいは輪を作ってダベッテいる。今日は日曜日みんな休みなのだ。山の斜面を耕した段々畑が続く。今が収穫期、稲刈りをしている光景がみられる。みんな人力だ。前を行くバスは屋根上にまで人を乗せている。走る車はバスもトラックもインドのタタ製だ。

12:00 Milabel  Rezortで昼食。眺めの素晴らしいホテルで屋上からはヒマラヤ山脈がパノラマのように見えた。この辺はカトマンズ人の別荘地、緩やかにうねる山の斜面にまだ新しいレンガ造りの瀟洒な住宅が建っている。

14:20 エベレスト・ホテル着


10月25日 26日 エベレスト遊覧飛行とカトマンズ市内観光そして帰国

カトマンズはこれで3回目、1回目は1994年エベレスト街道トレッキング、2回目は1995年ジョムソン街道トレッキングの行き帰りに2,3泊し遊覧飛行、市内見物をした。

今回は天気に恵まれていた。遊覧飛行も雲ひとつない快晴でエベレスト、チョーオユーの目の前まで行って眺める姿は本当に迫力があった。

ダルバール広場とそれから続く旧市街は、時の流れを何百年も元に戻したような風景だ。日本でなら重要文化財指定間違いなしのような古く、複雑な装飾の建物が現役で残っている。

ネパールは2008年5月28日 240年続いた王政が崩壊した。そして同日制憲議会が開催され王政を廃止し連邦民主共和制が宣言された。議会第1党はネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)である。しかし、多くの政党があってどれも絶対多数を持っていないため安定した政権が確立できず、政治は相当混乱しているようだ。短時間の滞在で街を歩いてみても以前とあまり変わっていないようにみえるがどうなのか。

20:20 トリブヴァン国際空港

23:00 中国南方航空で広州へ

10:10 広州発   

14:55 成田着