10月中旬 気象部OBG会 ‘八甲田の紅葉を愛でる旅’
     日時:10月10日(木)11日(金)
     会場;八甲田山酸ヶ湯
     参加者:(敬称略)
           東OB、恩田OB、金子(弘)0B、竹内OB(各37年卒)、竹内夫人、栗又OB、古林OG、小久保OG(各38年卒)、中込OB(39年卒)
           笠原OB、関根OB(各40年卒)、笠原夫人、関根夫人、金子(治)(41年卒)、高岡OB(42年卒)、高岡夫人、斎藤(45年卒)
           上田OB、上田OG(各34年卒) 計19名

     『八甲田の紅葉は草原から湿原、そして山頂にかけての各々の紅葉が素晴らしく、当地を訪れた総ての人々が感嘆しています。
     八甲田山麓の湯量豊かな‘酸ヶ湯’に浸かり、紅葉をタップリ味わう旅にしましょう。』
     との幹事の栗又、中込OBの案内状に、期待を膨らませて秋を待ちましたが、10月に入り太平洋に台風24号が発生した時から、
     悪い予感がしていましたが、その予感は当ってしまい、‘酸ヶ湯’での懇親会の翌日の紅葉の八甲田トレッキングは、大雨により中止と
     なってしまいました。
     毎年開催されている気象部のOBG会では、雨でどこにも行かれずに朝食後解散したのは、これで3回目ですが、今回は遠隔地での
     懇親会開催のため、参加者たちは、この八甲田に合わせて森吉山や八幡平、岩木山、奥入瀬、十和田山など事前、事後に旅行した方や
     棟方志功記念館や弘前散策など秋の津軽を味わいました。
     
              
酸ヶ湯での朝、太郎良OB(43年卒)ご夫妻と食堂でばったり出会いました。聞くところ太郎良OBご夫妻は、毎年紅葉の頃酸ヶ湯に逗留しているとのこと。昨日の晴天で高田大岳から縦走したとのことで、後日メールでは、この夜は連泊した上田代表ご夫妻と歓談したとのことでした。 酸ヶ湯の部屋の窓から紅葉を眺めます。雨は映りませんが、結構降っています。 酸ヶ湯には20数年に泊まったことがありますが、そのころに比べると、増築されて大きな観光施設になり、玄関ホール横のカウンターには、制服姿の女性たちが迎えてくれて驚きました。山の宿というよりすつかり旅館に変っていました。

ホールで記念写真を撮り、青森駅までの送迎バスを待ちます。送迎バスはチヤーターした大型バス2台で運行しています。 ここで解散します。帰る人、宿に残る人、青森や弘前に行く人、十和田、奥入瀬に向かう人さまざまです。 笠原、関根ご夫妻は車で奥入瀬に向かいます。前日、岩木山八合目駐車場で出会い驚きました。
津軽に来て見たかった光景・津軽平野のリンゴ畑
この時期の津軽平野の岩木山麓はリンゴのシーズンです。岩木神社から浪岡に向かう道路には、素晴らしいリンゴ畑が広がります。
リンゴ栽培は、バラ栽培に比べて遥かに手がかかります。
その作業をざっと見て行くと年末の施肥と3月の剪定。5月にはとてつもなく美しい花々が咲きますが、実が付いたら大幅に間引く摘果作業を行い、初夏から夏には消毒と防除作業が始まります。これら作業を円滑に行うため、夏の間、下草の除草を行います。
夏にはまたリンゴを赤くするため、リンゴの周りの葉を取り除く作業も行います。そして日光に向いていないリンゴの裏面に陽を当てるための玉回しを1個1個行いますが、これら作業は脚立に乗って行うだけに大変です。最後に画像のように、リンゴのお尻を赤くするために、銀のシートを樹の根本いっぱいに敷きます。
そうした一年の汗の結晶がこのリンゴ畑です。今年も津軽海峡に台風が通過しないことを祈るばかりです。



13年8月下旬 学生夏山合宿 燕岳・槍ヶ岳・穂高岳
学生の夏山合宿にOBが同行いたしました。
合宿の概要は1)燕岳~槍ヶ岳~穂高岳縦走  8月26日~8月29日 その後涸沢定着に合流 学生参加者:渡辺さん(政3)、山川君(商3)
         2)穂高岳涸沢定着・北穂高岳・奥穂高岳往復と北穂東稜  8月28日~9月1日 OB参加者:井村OB(40年卒)金子OB(41年卒)
                                                                    島田OB(46年卒)
当初縦走は学生3名、涸沢定着には学生2~3名の参加を予定していましたが、諸般の都合で縦走パーティは学生2名、涸沢入りは縦走パーティの学生2名にとOB3名だけになりました。
学生の渡辺さんは今夏、種池・鹿島槍・白馬・朝日の縦走、山川君は南アルプス南部から中部の10日間の縦走を行っており、縦走経験は十分です。今夏山合宿では本人たちの希望で、北アの岩稜歩きを目的に、幕営用具や1週間分の食料を背負って、表銀から槍穂の縦走、涸沢では北穂東稜と奥穂ピストンと雪上訓練を計画しました。
学生の縦走パーティは表銀から槍穂を縦走して計画通り涸沢に集結しましたが、涸沢入山の夜から、合宿直前に接近した台風が、列島日本海側に停滞する前線を揺さぶって九州、山陰、北陸、信越、東北地方は豪雨となり、強風雨でテントポールも破損したり、合宿期間中全く好天は望めないことから、残念ながら合宿は中止、OB連は穂高に登ることなく下山しました。
学生パーティの記録 渡辺記
8月26日 
毎日新聞社から毎日アルペン号にのって中房温泉(燕岳登山口)へ。

8月27日  中房温泉~合戦小屋~燕山荘~燕岳ピストン~大天井岳天場

初日の天気は曇りのち晴れ。合戦尾根で小雨が降る。
中房温泉から燕岳を目指す。合戦尾根は北ア三大急登と言われているが、問題な箇所はなかった。地図に水場は登山口のすぐ近くのように表記されているが、実際は40分くらい歩いたところの第一ベンチの所にあった。山川が水をあまり持っていなかったので、水場が見当たらなくて、水場を発見するまでは心配だった。水場は流水だった。合戦小屋までは、樹林帯で所々ベンチがあった。途中中学生のパーティー(約120名)とすれ違うのが大変だった。合戦小屋では、名物のすいかを食べた。合戦小屋から先は高い木も減り、展望がよかった。燕山荘にザックをおいて、燕岳をピストンした。ザックを置いたのでとても楽だった。大天井岳までは稜線歩きで縦走しているなという気分にさせられました。ときどき、見える槍を見ながら明日はあそこに立つんだと気持ちが高まりました。

合戦小屋にて 燕山荘 燕岳
燕岳ピーク 大天井岳ピーク 大天井岳ピーク

8月28日  大天井岳天場~西岳~槍ヶ岳肩~槍ヶ岳ピストン~南岳天場

 二日目は早起きをして、槍を目指しました。朝暗いうちから歩きだしてびっくり平を少し超えたところで朝日をみました。お昼から雨の予報でしたので、できるだけ早く進みたかったです。西岳の小屋までは誰にも会うことなく、昨日は違う静かな山を楽しみました。槍の穂先が雲に隠れてきたので、少しがっかりした気持ちで歩きました。西岳を越えて、東鎌尾根を歩いていると登山者に沢山会うようになりました。コース上に沢山のはしごや階段があり、気をつけて歩かなくてはという気持ちになりました。山頂付近が雲で隠れているので後どのくらいあるけばいいのかなという気持ちにさせられました。槍ヶ岳山頂荘には沢山の人がいました。そこに荷物をおいて山頂を目指しました。沢山の登山者が登っていてサル山みたいでした。このとき、山頂は雲に隠れたり、出たりを繰り返していました。私たちが登ったときは雲もなく景色をみることができました。

 槍で景色を見ることができて安心したからなのか、ただ疲れが出てきたのか、南岳小屋までは距離以上に遠く感じました。南岳小屋は標高が高いところにあるので、寒かったです。この日だけダウンを着用しました。明日の大キレットに向けて早めに寝ました。この日は、天気予報が外れて雨に打たれることは結局ありませんでした。

槍ヶ岳ピークにて
槍肩 槍肩 南岳ピーク

8月29日 南岳天場~キレット~北穂高岳、渡辺さん:南稜~涸沢、山川君:北穂~涸沢岳~穂高山荘~ザイテン~涸沢

 三日目は、今回の縦走で一番いい天気でした。この日は南岳小屋から涸沢までとコースが短いが、大キレットという難所があったので充分な注意が必要でした。落石が怖かったのでヘルメットを着用しました。長谷川ピークまでが想像より時間がかかってしまい疲れました。飛騨なきは怖くはなかったです。登山者は少なかったですが、落石は所々ありました。休憩できるスペースがあまりなかったので、できるところで少しずつ取りました。岩登り練習をしていてよかったと思った所が何度かありました。北穂までの登りは楽しかったです。北穂の小屋で休憩をして、山川は涸沢岳へ私は涸沢へ分かれました。私は山川より先についたので、テントを張って涸沢で待ちました。涸沢は風が強くて、テントを張るのが大変でした。また、涸沢ではOBの方との合流をする予定でしたので、到着を待ちました。みんなと無事に合流できてよかったです。夜になると天気が台風のため悪化しました。テントが風で変形したりと落ち着いて寝ることができませんでした。

  四日目は北穂に登る予定でしたが、天候が悪いため下山することになりました。残念でした。少しだけ雪訓をしました。下山は山川が走るように降りて行くのでついて行くのでやっとでした。横尾から上高地までが一番辛かったような気がします。

南岳天場 キレット 槍をバックに
南岳から北穂・滝谷を望む。クラック尾根、一尾根、P2フランケ、ドームが望まれる。
キレット
直下に涸沢ヒュッテ
OB涸沢定着  8月29日 上高地~涸沢
シュラフ、マット、テント、器材、4日分の食料と燃料、生活用具、登攀用具、50mザイル等で45~60Lのザックがハチキレそうです。
早朝涸沢に着き、朝飯を済ませてパッキングします。ザックが満杯なので無理やり押し込みます。 いざ涸沢に向け出発です。上高地に夜行バスで来るのも久しぶりです。 ずっしりと荷が肩に食い込みます。
本日は台風前の晴天です。学生たちはキレット越えの日のため良かったと想います。
河童橋ですが先の事を考えると景色は楽しめません。
途中でトップを変わります。この辺は、時々明神の最南峰を見上げながら歩く余裕がありました。 明神に着きました。今日はいやに空いています。台風が近づいているからでしょうか。
入山者は少なく、下山者の方が遥かに多いです。 徳澤に着きました。相変わらず美しい所です。 荷を見るとぞっとします。学生の夏合宿ではなく、OBの夏合宿みたいです。
横尾では、いつもは稜線が見えることが少ないのですが、今日は奥又までくっきりと見えます。 横尾も空いています。ここを出発した登山者は、ほとんど槍や蝶方面に行きました。 横尾までは、何とかコースタイム通りで来ましたが、さてこれからは、登りになるのでそうは行きません。
横尾からの道は長い時間をかけて整備され、歩きやすくなりました。昔は直ぐ冠水しましたが、それも少なくなったのでしょう。 屏風にも目もくれずひたすら本谷橋を目指します。 本谷橋です。今は立派な吊り橋で、5月までは雪のためこの吊り橋を外しています。下りは昔通り丸木橋を渡ります。
ここで大休止で、昼食を採ります。足吊りを予防して休憩ごとに、ポカリを飲み、梅干し数個や塩飴で強制的に塩分を補給します。涙ぐましい努力です。 本谷橋からの急登が終わり、横尾尾根が見渡せる場所まで登って来ました。ここで、現役4年の9月末の冬山偵察の際、同期の杉村OBとプリズムを覗きながら、5峰への試登の前に登路を探したことを思い出します。 更に涸沢の斜面を長く巻く辺りから、夜行の疲れと重荷のためペースダウンし、苦行が始まりました。本谷橋では、13時半ごろには涸沢には着くなと予想していましたが、通い慣れた道ですが、そんな甘くはありませんでした。
涸沢ヒュッテの丘が見えて来ました。近そうですが望遠レンズのため、実際はもっと遠いのです。 ザックも大きく器材や重いザイルを担いで元気に登って来た島田OBもさすが口数が少なくなっています。 涸沢に至る最後の辛さは、高校3年の時初めて穂高にやってきて、2人なのに6人用テントに小型の家庭用石油コンロを担いで、中々近づかないヒュッテのポールを眺め、喘ぎながら登った時以来でした。
ようやく涸沢に到着しました。学生たちは我々の到着を今か今かと待ち構えていました。山で再会するのは何故か楽しいものです。昔の集中登山の楽しい思い出が蘇ります。 学生たちは無事キレットも越へ、山川君は穂高山荘まで足を伸ばしたことも知りました。重荷での岩稜縦走も含めて、縦走に関してはもう実力十分です。 現役学生のテントの横に、故納見OB寄贈のメスナーの冬天を設営します。
涸沢はやはり素晴らしい所です。
学生時代、この辺りは巨大な岩がゴロゴロしていて、涸沢定着の午後は岩の上でトカゲを決め込んでいましたが、いつ頃かゴロゴロしていた岩の堆積は姿を消してしまいました。
昼間の晴天から、厚い雨雲が上空を移動してきました。翌日は井村0Bと学生は東稜へ島田OBと金子が南稜から北穂を予定していましたが、天候が案じられました。稜線の様子を見ると、多分飛騨側には雨雲が押し寄せて来ているのが解ります。
台風接近のためか、夏の終わりの涸沢は寂しい光景です。薄いグリーンのテントは涸沢ヒュッテの宿泊用テントで、泊まっているわけでなく、それを除くととても少ないです。
天幕内で持参の果物やお菓子を食べお茶を飲みながら、縦走中の話を聞き歓談します。 学生諸君は年寄りの話にも、良く耳を傾けてくれます。自分の息子や娘が学生の時、同じように耳を傾けてくれていたでしょうか。 まだ稜線は見えますが怪しい天気になって来ました。
8月30日 下山 涸沢~上高地
夕食後まもなく雨が降り出し、夜は暴風雨となりました。山側に頭を向けて寝た島田OBと金子は風雨でテントが顔の上に圧し掛かり、雨も浸水してくるのでろくに眠れませんでした。朝起きてみたらポールが折れており、テントが変形していました。時折強い雨が降る天気です。 学生たちも、あまり眠れなかったようです。夜中に声がしていた隣のテントは無くなっていたので、ヒュッテに逃げ込んだのでしょう。ヒュッテのTVで台風情報を見て、小屋の人も、ここ2~3日は悪化するばかりで、好天の見込みが無いと天候にはあきらめ顔でした。
これら情報を基に井村OBが決断し下山と決定しました。
朝食後、雨のためにテント内でパッキングを始めました。マットを折りたたんだところ、冬天の床は浸水して水たまりが出来てシュラフまで水浸しでした。靴下を濡らすわけにいかないので、テントの中で靴を履きましたが、まるで冬山です。ずぶ濡れになったテントをザックに押し込み、下山ですから無理やりパッキングしました
下山前に雨の中ですので、計画した雪上訓練を簡単に行いました。 本来はザイテン下の傾斜のある雪渓で、実際に滑って行うのですが、雨天のためヒュッテ下の雪渓で形だけ行います。 井村OBが滑落停止姿勢の見本を示します。
傾斜もなく形だけですから、足が上がらず、あまり臨場感もありませんが、停止のコツだけはコーチします。 昔は、11月の雪上訓練合宿だけでなく、機会あるごとに訓練を行った記憶があります。新人の時の夏合宿で雲ノ平に集中した際、縦走中台風にたたられようやく訪れた晴天の日、衣類を乾かしているときに、新人のみ雪上訓練を行わされ、皆でふてったことを思い出します。昔はろくな雨具がないので、無雪期の訓練は通常着のままで行いました。 記念写真を撮りここで解散します。OBは学生に着いていけないので、別々に下山します。
我々が持参した50mザイルは山川君に託しましたが、ザックに入りきらずサブザックを外にくくりつけます。この50mザイルは異様に重く、横尾から平地になって随分苦しめられたそうです。同期の積雪期山行では40mザイルを持参しますが、そんなに重い記憶はなく、たった10mの違いでどうしてこんなに重いのでしょうか。 渡辺さんのザックも巨大で、ザックカバーを付けると、源平時代の母衣武者のようです。
このくらい背負って縦横に山を歩けないといけないのですが、私たちにとって、それは昔話であり、過ぎ去った夢の世界です。
降りしきる雨の中、下山します。 雨が降るともうすぐ秋なのに緑が映えます。あと1か月で草紅葉に変ってしまいますが。草も最後の命の燃焼なのでしょうか。



137月北海道(幌尻~トムラウシ)山行報告

北海道の幌尻岳、十勝岳、トムラウシ山の山旅について報告します。一部敬称略
                                                     笠原 OB

メンバー:笠原OB、狩野OB、河西(友人:後半サポート役)

期間:13726日(金)~81日(金)・・・(自宅発着全期間:7/208/4
行程:7/26(金):苫小牧港(狩野がサポートに合流)→奥新冠発電所前ゲート~新冠幌尻山荘

7/27(土):新冠幌尻山荘から幌尻岳ピストン(笠原、狩野)
  7/28(日):新冠幌尻山荘~奥新冠発電所前ゲート→十勝岳望岳台
  7/29(月):望岳台から十勝岳ピストン(笠原、狩野)→(河西がサポートを交代)→狩勝高原
  7/30(火):狩勝高原→ライダー館屈足/ 
 7/31
(水):ライダー館→トムラウシ短縮登山口

  8/1(木):トムラウシ短縮登山口からトムラウシ山ピストン(単独)→新得旅館

1.山行記録

7/26(金):苫小牧港上陸~新冠幌尻山荘 …天気雨後曇り、蒸し暑い。

事前に山形の月山へ4歳の孫たちと登ったが、水害でJR不通や断水に遭って入浴洗濯に不自由し、スマホ突然停止で連絡不自由のまま、予定外の便で北海道行きとなるトラブルが生じていた。八戸からのフェリー船内で入浴し苫小牧港に深夜1時半上陸した。

ターミナルのベンチで横になっていると、朝6時、狩野OBが迎えに来てくれた。国道235号を東南へ進み、新冠町の津波避難所(森林公園)で小休止。新冠川に沿って上流へ向かうが流路77kmは長い。

道路沿いにサラブレッドの養育場あり。岩清水から人家絶え、岩清水ダム、下新冠ダムを過ぎ、新冠ダムゲートを通ってロックフィルダム上を渡った。新冠ダムの先は悪路が約22km続く。オフロード仕様のレガシーは水溜りのダートを泥んこになって進んだ。イドンナップ岳への支道を別け、糸納山荘前を過ぎ、奥新冠発電所ゲート前(標高420m)駐車場に10:40到着した。


7/27(土):幌尻岳ピストン(狩野OB同行)小雨~霧~一時薄日、蒸し暑い。
7.26 11;31  いこい橋ゲート
入林許可の記入をし、ゲートをくぐって食料5日分のザックを背負い10:50出発した。林道19kmは羆の生息地である。いこい橋は橋上の堅固な回転扉を身一つでくぐった。林道は緩い登降を繰返しながら徐々に登り延々と蒸し暑い。大理石沢、雷沢、原石沢、末広沢などを越える。
7.26、15;50 奥新冠アーチダム
一際狭まった奥に奥新冠ダムのアーチが喰い込んでいた。奥新冠ダムから道は地形図の径と異なり幌尻湖から離れ徐々に登り、下って新冠幌尻山荘790mに着いた(16:50)。山荘は屋根が地面まで伸びた切妻でがっしりしているが床面は傾斜しており同宿者数名は二階に就寝した。
4j34 新冠幌尻山荘前 狩野
新冠幌尻山荘4:20出発。羆避けスプレー、鐘、携帯トイレ、ビバーク装備、アマチュア無線機などを携行。渡渉点(970m)まで緩いが斜面沿いのルートは靴幅しかなく濡笹が被さって見えにくい。数cm誤れば谷底まで滑落の危うさ。

05j47新冠コース渡渉点から幌尻岳
渡渉点には仮橋が掛けられていた(5:50)。のっけからの急登。見晴らしの効かない尾根の直登を続け唯一の「見晴台」(7:49)。同宿の6人パーティが追いつき鐘・鈴・呼子を吹き鳴らしていった。新冠コース中間点(8:17)。水場を渡る(9:05)。霧で見通し効かず。お花畑(9:39)は時期が早いようだ。羆の糞や地面を引っ掻いた痕があった。狩野OBと別れ先行した。稜線に至ると振内コース分岐だった。周りの山は雲の中。
11j24 幌尻岳頂から北カール
時々雲の下が覗けて北カールの残雪が見えた。幌尻岳2053mに登頂11:30)した。かつて登った北方1808と南東のエサオマントッタベツ岳を確認したかったが、待っても晴れなかった。下山にかかり、大岩の上で狩野OBと合流した。
 12j36 イドンナップ岳、幌尻岳下山から
イドンナップ岳は冬季初登頂が最も遅かった歴史を持つ深い山だ。現在でも稜線へ上がってからの長い藪こぎを強いられる。早大アフリカ縦断登山隊だった岡部医師がこの6月にイドンナップ岳を目指したが悪天候で撤退し秋に再挑戦するそうだ。

7/28(日):新冠幌尻山荘~十勝岳望岳台 …曇り時々霧雨、蒸し暑い。
新冠幌尻山荘から下山の林道も雨具を出したり引込めたりで暑かった。下るにつれ樹種が変わり、いこい橋460mは下界の森相を呈してきた。ゲートをくぐって車へ戻った(10:25)。後日、林道の羆出没を知った。計画ではここから十勝岳の新得側登山口へ移動することにしていたが、羆リスク低減などを考慮して十勝岳は一般的な西側から登ることに変更し、白金温泉~望岳台へ向った。

12j36 幌尻岳南方イドンナップ岳と幌尻湖
日高主脈は雲が掛っていた。前方左のナメワッカ岳と右のイドンナップ岳の鞍部の向こうにシカシナイ山などを望み日高の山深さを味わった。水場1700mから原始林の尾根をひたすら下って渡渉点に至り、汗ばんだ身体とシャツを洗った。山荘に着く(16:30)と週末で登山者が増えていた。
泉から正和、貫気別、振内を通る山間の道は人気なく過ぎ、国道237号に出て北上した。沙流川温泉コインランドリーで濡れ物を洗った。北海道で会う人達に予定変更を連絡しなければならなかったが公衆電話はなかった。道の駅「樹海ロード日高」まで行って漸く電話ができた。占冠を過ぎると再び霧の山間になった。南東から寄せる気流が日高山脈を雲で覆い、上川地方に雷注意報が出ていた。 7.28 18;12上ホロカメットク方面乱気流、望岳台から
冨良野平野に出ると左手の芦別岳は雲が掛かかっていたが冨良野西岳から北は雲に隙間があった。空は不安定で、十勝岳連峰を南東から越えた暖湿気流が笠雲となって被さり、風下側十勝高原上空で山岳波が上下に波打ち上下多層に吊し雲やレンズ雲を飛ばしていた。狩野OBはグライダー乗りなので空の気象に注目しながら運転した。

7/29(月):十勝岳ピストン~狩勝高原 風強く雨~霧の悪天。
18;13 望岳台から十勝岳
途中、名水(延寿の水)を充填し、白金を通って望岳台駐車場へ着いた時(18:00)には十勝岳の霧雲も薄くなっていた。車横にテントを張るがペグを打てないので荷物で風に抗した。
 04;26 望岳台から旭岳方面残雪
望岳台930m4:20出発した。大雪山旭岳方面を望めたが行く手の十勝岳は雲の中。十勝岳避難小屋(1320m)を過ぎ、下方に虹が見えた。登るにつれ風強まり雨が打ちつけた。高度を上げるにつれ暗く視程も悪くなった。
 08;14 十勝岳北面の雪渓
スリバチ火口縁を過ぎ1760m付近の火山礫帯に来ると夕暮れのように暗く、風雨と砂礫に足を取られる前進だった。十勝岳北面の雪渓が大きく見えた。この辺りは新旧種々の火口が重なり複雑な地形をして興味深いが背を低くして突進するのみだった。

ここでサポート者が狩野OBから河西さんに交代し、狩OBは札幌に向かって別れた。冨良野を過ぎ、国道38号を東進しつつ、

スマホへモバイル蓄電池から給電を試みたら成功した。船室での充電には反応なかったのに、単なる電源切れだったのか?道中ときどき驟雨が襲った。オホーツク高気圧が停滞し南からの暖湿気流が吹きこんで不安定だった。

狩勝高原の旧ロッジアルプの永井さんを訪ねると不在で置手紙をした。新得駅前へ行き宿を訪ねると満室。そこへ永井さんから電話あり「今夜泊らないか」とのお誘いを受けたのでロッジへ向かい、22年振りに再会した。ペンション経営は終了したが、以前泊った部屋へ泊めてもらった。

09;20 十勝岳山頂 狩野
岩塊の急斜面を登り、▲十勝岳2077mに登頂した(9:20)。他に登山者はいなかった。横殴りの雨を下山にかかった。周囲の景色は飛霧の中だった。砂礫帯に下るとタイツ姿の男女が駆けたり下半身素肌の長脚西洋人が速いペースで通り過ぎて行った。
13;33 望岳台 河西・狩野
望岳台
へ戻ると帯広の河西さんが迎えに来てくれていた。22年前に旭岳石室でお会して以来のアイボールだった。愛車の三菱キャンターは荷台に軽自動車の荷物室を載せ、山野踏破・狩猟・車中泊など多用途にカスタマイズされていた。持参された弁当や飲み物の御馳走に与り、しばし話し合った。

7/30(火):狩勝高原~ライダー館屈足 …雨 7/31(水):ライダー館~トムラウシ短縮登山口 …雨時々曇り
 12;43-3羆肉料理、ライダー館屈足 河西
旧ロッジアルプで濡れた靴や靴下の水分とりをやっていると河西さんが迎えに来た。トムラウシ山へ登る日程を1日に延ばすことにして、天気待ちに「ライダー館くったり」を紹介された。ライダー館は屈足公園内にあってオートバイ等の旅行者が泊れる無料施設だが、トイレ、水道、電気までありスマホの充電が出来て大助かりだった。昼食はBBQ棟で河西さんが本格的なガスコンロと専用鉄鍋をセットし、羆の生肉スライス、味付き鹿肉ジンギスカンと野菜などを料理してくださり、おにぎりや漬物などとともに美味しく腹いっぱい御馳走になるとともに差入れまで頂いた。
13;54-1ライダー館くったり
ライダー館で夕食を済ますと、埼玉の青年3名がオートバイでやって来た。夜、青年たちが近郊の温泉に向かうと、地元の西村さんが「ライダー館」に来てくれた。彼とは22年振りの再会だった。2009年のトムラウシ13人遭難事件の1週間前に同コースをガイドしたこともあり山の様子などを教えてもらうとともに、昔日高山脈全山縦走のとき帯広の河西さんと無線交信していたことなど遅くまで話しをしたが記念写真を撮りそびれた。
07;20朝食ライダー館くったりBBQ
ライダー館で、差入れの大きなトマト、卵、野菜で朝食と昼食を済ませた。午後、河西さんが迎えにきた。途中、トムラ登山学校へ寄り、トレーニング用人工壁(クライミングウオール)を見学した。冬季は水をかけて氷壁とするそうだ。国民宿舎東大雪荘へ向かった。東大雪荘は人里離れた奥地にある割りには立派な建物だった。トムラウシ野営場にも寄ったが草が生え周囲に羆が居そうな雰囲気だった。トムラウシ短縮登山口への道のりはまだ長く雨の夕暮れだった。

8/1(木):トムラウシ山ピストン~新得旅館 …曇り時々小雨

16;38-1 短縮登山口バイオトイレ
短縮登山口960mには2台の乗用車があった。太陽電池付バイオトイレの隣へ駐車した。私は荷室の折りたたみベッドを提供され、河西さんは運転席で横になった。隣に1台後着し、新潟県の男1名女2名のパーティだった。翌朝4時出発と聞き同調することにして就寝した。
3時に目覚めると隣の女性が来て、男性が不調だからと同行を誘われた。入山ポストに記入し女性2人と3:45出発した。河西さんは車に待機。先頭の私は緩い道だが温泉コース分岐まで30分(ガイドマップの1.5倍)かけてゆっくり歩いた。徐々に勾配を増した。私は、「間質性肺炎で登りは心拍数が上がり息苦しくなるのでゆっくり登るが、遅いと思ったら追い抜いて下さい。」と伝えた。間もなく、「先に行かせてください。」と言われ2人に追い抜かれた。  05;52-1 冨良野岳~十勝岳
一時眺望が得られたが殆ど笹藪と霧~雨で見通し効かない。まだ薄暗いので羆避け発声しつつ登っ

05;52-3 日高山脈方面
カムイ天上1290mからの新道は03年開通から10年を過ぎ、道型が凹んでぬかるんでいた。左右の笹に踏み場なく、すぐ泥んこになった。
 07;45 コマドリ沢分岐から雪渓登り
コマドリ沢1430mを渡る(7:28)と雪渓の直登になった。スプーンカットが滑らない傾斜なので標高差約150mを効率良く登ることができた。8時の定時アマチュア無線を試みたが入感無かった。森林限界内だからか?
08;30 コマドリ沢源流稜線右へ前トム平へ
樹林を越え、岩塊のガラ場を横断し、斜面を登る霧が流れシャッターチャンスを待った。ここから30分で前トム平1730mに着いた(9:03)。

09;29トムラウシ公園の向こうにトムラウシ山
トムラウシ公園への峠(1820m)を越え10時の定時発信をすると河西さんと交信できた。前方の雪渓を見てアイゼン不要と判断しツエルトザックなどとともにデポした。トムラウシ公園は、お花畑や灌木にせせらぎが流れ、岩塊と残雪が組み合わさって日本庭園に似た美しさがあった。一旦公園へ下り、残雪を登り、上段の緩斜面を登って行くと南沼との国境分岐(1970mに至った。
11;10 トムラウシ登りから南沼方面振返る
国境分岐
でさっきの女性2人が降りて来るのに会い「あら、早いのね…」と言われた(11:00)。「貸した護身用熊避けスプレーは今返さなくてよいから下で待機している河西さんへ渡して。」と応えた。残る高差170mを急ぎ、▲トムラウシ山2141mに登頂した(11:30)。
12;38 トムラウシ公園へ下るお花畑
国境分岐に戻り12時の定時交信も成功し、スマホ上の電子地形図にGPS現在地を重ねるテストをし、女性たちより約1時間遅れの下山となった。雪渓を下り、コマドリ沢へ3時間かかった(14:39)。その先も長くぬかるみに足を取られ、短縮登山口17:45に帰着し記入した。短縮口と言え行動14時間はトムラウシの深さを実感した。

短縮登山口に着くと人々が集まり、「女性2人パーティが戻って来ない。入下山記入ポストの記入もない。途中で追い抜かなかったか?」と問われた。最後の目撃者は11時の私となった。不明パーティの残留男性が「温泉コースの方へ間違って行く可能性」を考え東大雪荘へ向かった。ほどなく女性2人が下山してきた。「話しに夢中で分岐標識を見落とし温泉コースへ行ってしまい、途中で気付いて引き返してきた。」そうだった。朝同行時に、女性の一人の言「あと羅臼岳を登れば日本百名山達成」に、「ご経験をお持ちですね。」と応え「入下山を記入しておけば事が起きても捜索範囲が絞られますね。」と話しておいたのに彼女らは記入していなかった。…居合わせた人が「普段リーダーに従って行動していたところをリーダー不在の解放感で話しに夢中になったのだろう」と言っていた。

22;19 げんやにて;左から永井、笠原、三品
このハプニングで日没した道を急いだ。ガタつく道を一時停車し連絡をとると、三品さんが来てくれるそうだ。走った。キツネが何度か横切った。駅前の新得旅館21時頃着いて荷を下ろし河西さんと別れた。ざっと汗を流し女将さんと話しをしていると、永井さんが迎えに来た。裏の居酒屋「げんや」に三品さんを待たせてしまっていた。3人で旧交を温め24時まで話し込んだ。


あとがき

情報収集と予約遅れの不手際や、断水と蒸暑さが重なり替衣と入浴に不自由したが、サポートのお蔭で目的3山を無事登了できた。また、日高山脈奥地や大雪山系の地形を実地に観察し、旧交を温めることができ意義深い旅となった。心からの感謝を申し上げたい。

日本百名山としての幌尻岳は、北西の糠平川を遡って登られることが多いが、今回、南西の新冠川から入り上流部の地形を見る機会が得られた。幌尻岳上部は氷食地形に囲まれているが、ルート上部にある大岩は周氷河地形の典型的岩塔と思った。谷斜面は急峻で、特に奥新冠ダムでは両岸が鋭角に迫っていた。氷食地形の下方にはこのような狭隘な谷地形が見られるが、それと異なり新冠幌尻山荘から幌尻湖にかけての幌尻沢で河床幅100mを超える平坦部の続く地形の存在に疑問を生じた。地形図を読むとその上流西側斜面上部からの土砂の崩れ込みと解釈でき地質の複雑さが思われた。

 




13年8月初旬 西穂高
西穂高のピークにて。間ノ岳の彼方にジャンの飛騨尾根を従えた奥穂が鎮座している。

日時:8月2日、3日
メンバー:金子OB他友人1名

8月末の現役学生との穂高山行の参加に備えて西穂高に行きました。昨秋から足につり癖がついて山行きに自信が無くなってしまったため、打開するためにサイクルトレーニングを開始しましたが、その成果をテストする意味で高校時代の岳友と出かけたのです。
幸い、足のトラブルも無く比較的快調に登れたので、現役学生との山行に参加することに決めました。

今年の梅雨の戻りは長く続き、7月前半は良かったものの7月末の夏山シーズンは、ほとんどの登山者にとっては不発で、ようやく雨の予報が終わり、出かけた8月2日夜の西穂高山荘は金曜日にもかかわらず超満員でした。
翌日、西穂高から往復して戻った独標のピークは、土曜日でもあり人で溢れかえり、登る人も下る人も多く、独標の鎖場は今思い出しても笑い出してしまうくらいの大混雑で大渋滞となりました。でも登山者たちは、皆イライラもせず、ようやく梅雨が明けた山を楽しむがごとく、お互い冗談を言いあって、とてもなごやかで楽しい下りでした。
若い人たちと違って年寄りにとっては、山は大らかに楽しむ場であり、余り悲壮的になっても楽しくはありません。この独標の大渋滞は今年の夏の印象深い出来事となりました。

長い梅雨の戻りで連日雨が続き、ようやく晴れの予報が出て、来てみたら、西穂山荘までの登りは雨の中でした。でも涼しくてかえって良かったです。 朝、起きて外を見たら晴天で美しい雲海が広がっています。左は霞沢岳、上は笠ヶ岳です。 5時半に出発し丸山に登ります。彼方に今日の行程の独標、ピラミッドピーク、西穂高が望まれます。
もう既に独標のピークには人が見えます。写真は高校時代の岳友で、元山岳同志会に在籍していました。私と違って体重が30㎏近くも軽く,岩場を軽快に歩きます。 独標です。ここまで1時間です。いつもはケーブルの下から日帰りでここまで来ますが、昨晩は小屋泊まりのため楽です。 小屋から西穂まで大小11のピークを越えます。目の前に大きなピラミッドピークが聳えており、西穂は3つ目の大きなピークです。
独標の下りはギャップ気味で下が見えません。山荘のネット案内では、この降りで手こずるようであれば、この先は止めた方が良いとありました。とても上手い表現と想いますが、そのため独標からは、極端に人が少なくなります。 ピラミッドピークの登りは高度を稼ぎます。空気が澄み天気も良いので、明るい夏山の気分を十分味わえます。但し気温は高くなく、半袖になる必要はありません。ここまで約2時間です。 目の前のピークの向こうが西穂高です。ぐっと近づいて来ました。目の前のピークは昔は無名でしたが、最近ではチャンピオンピークと呼ばれているみたいです。
いよいよ西穂高ピークに近づいてきました。 ピーク直下は手を使って登るピッチがあります。 歳をとってバランスが悪くなっているため、かえって3点確保しながら上り下りするピッチの方が楽です。
西穂高ピークです。ここまで3時間でした。足の異変もなく順調に来られました。
後方には笠、抜戸、弓折、双六、三俣蓮華、鷲羽、野口五郎、烏帽子、黒部五郎、薬師、立山など昔縦走した懐かしい山々が横たわっています。
この西穂山稜からの穂高の眺めは、涸沢側とは別な意味で絶品です。目の前は間ノ岳、天狗のコルを挟んで、畳岩、右にコブ尾根を従えたコブ尾根の頭、そしてそのすぐ向こうに、左側に長大な飛騨尾根を従えたジャンダルムがあり、その奥に奥穂ピークがあります。いつも想うのですが、奥穂高岳とは奥穂のピークだけを指すのではなく、畳岩やコブやジャン全体を指す概念だと想います。昔2人で登ったルートを眼で追いながら、楽しいひと時を過ごしました。
ピークで眺望を十分楽しんだ後、下山にかかりました。狭い山稜のため、ルート譲りで時間を取られます。背後は西穂ピークです。 小さな名の無いピークが独標まで続きます。正面はチャンピオンピークで、ピラミッドピークはその先の小ピークの先にあります。ガスが出てきてピラミッドピークを隠してしまいました。。
痩せた尾根で西穂に登って来る登山者に道を譲りながら、ようやくピラミッドピークまで降りてきました。 ガスが出てきて眺望が悪くなりました。これから西穂に登る登山者は何も見えず気の毒です。 雷鳥がいます。




13年7月上旬 現役ザイルトレーニング 天覧山
現役学生諸君たち。左から中戸川さん、渡辺さん、山川君、幹事長の増田君、久須美君。

日時:7月7日
参加者:OB関連:上田代表、井村副代表、豊田夫妻、亀田、金子各OB
     現役学生:増田幹事長、中戸川さん、山川君、渡辺さん、久須美君、

2月に続いて2回目のRCTです。今回は現役学生では、新たに中戸川さんと山川君、渡辺さん、久須美君が参加し、コーチとして新たに亀田OB(52年卒)が加わりました。真冬の2月と異なって、今夏の猛暑がまだ訪れる前の7月上旬、快適とは言えませんが、それでも直射日光が遮られた杉林のゲレンデで楽しくトレーニングが出来ました。今回は岩場には3パーティが取り付いていましたが、私たちのために快く岩場の一部を空けてくれて助かりました。
朝から夕方まで繰り返し練習し、学生諸君たちは縦走路での岩場の身のこなし方に自信が湧いたようです。



最初はフリーで岩場の中段までを上下します。三点確保の徹底と、岩から体を離して足場を確認しながらの下降をトレーニングします。
渡辺さんです。
山が初めての久須美君です。
山川君です。
中戸川さんです。
今回2回目の増田幹事長です。
豊田夫人です。
次にザイルで確保しながらのトレーニングです。ザイルの結束方法を学びます。 何回も繰り返します。 トップロープでのトレーニングです。
今回初めてコーチとして参加した亀田OBです。 60歳近いのに流れるようなフォームで登ります。
久須美君と豊田夫人が登ります。 クライムダウンして、途中で岩から手を離し、ザイル確保の有効性を肌で感じます。 次に山川君と中戸川さんが登ります。山川君が手を離しています。
増田君は登り、渡辺さんは下降です。 上記を何回も繰り返した後、昼食になり午後はクライムとアップザイレンのトレーニングです。 増田君
渡辺さん 中戸川さん 久須美君
山川君 豊田夫人 クライミングの達人、上田代表は猿のように岩を上下します。
岩壁の上部で豊田OBが撮影した画像。 増田君。
中戸川さん。
渡辺さん。
山川君
久須美君 豊田夫人
終わってザイルの巻き方の練習です。 終礼です。
左から亀田、井村OB、久須美、山川、渡辺、増田、中戸川、前列は豊田、上田、豊田夫人です。
天覧山のピークで記念撮影。この後すさまじい夕立に遭いました。 駅前で咽喉を潤し、お腹を満たしました。





13年6月中旬 41年同期 東北・山刀伐峠

山刀伐峠(なたぎり峠)です。峠には樹齢350年の杉の巨木と子宝地蔵堂がひっそりと建っています。


期日:6月16日、17日、18日
メンバー:稲吉、杉村、金子、41年卒OB

山の峠でなく、街道の歴史ある峠を歩いて越えようと、和田峠、塩尻峠、野麦峠、鳥居峠など、今まで少しづつ越えて来ましたが、6月中旬、俳句を熱心に嗜む稲吉OBから、芭蕉が奥の細道で歩いた、陸奥から出羽へ越える「山刀伐峠(なたぎり峠)」を越えようと提案がありました。

早速、東北の地図で山刀伐峠を探しましたが、とうとう見つかりませんでした。ネットで検索しようやく位置が判りましたが、芭蕉が越えた山刀伐峠は、古川と舟形を結ぶ磐越東線ぞいの北羽前街道にはなく、途中の赤倉温泉駅手前から左折して尾花沢に抜ける県道にありました。芭蕉が当時のメイン街道である北羽前街道でなく、多分近道を狙ったと考えますが、なぜ人も余り通わない山刀伐峠を越えたのか謎でしたが、これに関して皆で、アレコレ推察するのも楽しい事でした。

今回はこの山刀伐峠をメインに前半を、丁度芭蕉が旅した時期と同じ時に、平泉から芭蕉の奥の細道を辿り、後半は明治初期にこの地域を旅し「日本奥地紀行」を著したイザベラバードの時代に戻り、村山、置賜地方を巡る予定でしたが、村山地方の博物館巡りに時間を取られ置賜巡りは諦めました。


安倍貞任と源義家が戦った衣川を見たくてやって来ましたが、現在の衣川は上流にダムがいくつも出来て流れが痩せ細っています。当時はこの辺りの安倍館まで、石巻から北上川を経由して舟が上っていたと言われています。
奥の細道で名高い仙台藩の「尿前の関」跡です。この「尿前の関」は、北羽前街道の鳴子温泉を過ぎたところにあり、前夜泊まった鳴子温泉から、この先の分水嶺の境田まで、遊歩道が整備されています。 ここも「尿前の関」と対で、名高い「封人の家」跡です。「封人の家とは芭蕉の造語と想いますが、新庄藩の国境警備の郷士の家で、宿屋も兼ねていたのでしょう。芭蕉は曽良と共にここに2泊して、
「蚤虱馬の尿する枕もと」の句をつくりました。
この陸奥と出羽の分水嶺の堺田はカルデラ地形の高原です。かっては軍馬を量産した小国駒の産地で、この高原の美しさは、今回の旅の最大の発見でした。北上山地を初め、我が国にはまだまだ観光地化されていない美しい場所があるのだなと想いました。 山刀伐峠越えの道は、完全な登山道で、細くて急なため、馬や牛が行きかう道ではありません。狭い自動車道の旧道もありますが、現在では山刀伐峠の直下はトンネルで立派な県道が走っています。芭蕉は山刀伐峠の句は残していませんが、不安で俳句どころでは無かったのでしょう。
峠を越えて出羽の尾花沢に出ます。芭蕉は尾花沢で、紅花を扱う豪商鈴木清風の元で10日間滞在しました。尾花沢の隣町の大石田は、最上川舟運の内陸での最大の河岸です。芭蕉は山寺に行った後、大石田の先の河岸、合海から最上川を舟で清川まで下り、名句を残しました。
「五月雨を集めて早し最上川」
900段近い石段を登って、山寺の一番上にある五大堂から麓を眺めます。山寺は正式名、宝珠山立石寺という天台宗の寺院です。山寺には初めて訪れましたが、山形県きっての観光地でありながら、観光地ずれしていないその凛とした雰囲気には感銘を受けました。開山した慈覚大師円仁が、ここ五大堂の真下の洞窟で入定したとの伝説があるほど、比叡山から遠く離れた地に天台教学の根本道場を作ろうとした円仁の強い意志が、今なお受け継がれているのでしょうか。
天童にある旧東村山郡役所です。山形県は明治の古い建築をたくさん残しています。初代三島県令が近代化政策を強力に推し進めたその遺産を、今も保存しているのです。
今回訪れた村山地方にも旧東村山郡役所、旧山形県庁、旧山形師範、旧山形医学校・病院など古い建築が博物館として保存されていて、こうしたところを訪れるだけでも、イザベラバードが旅した時代を楽しむことが出来ました。
山形県立博物館の国宝土偶「縄文の女神」です。
平成4年(1992)に最上郡舟形町で発見された約4500年前の縄文中期の高さ45㎝の大型土偶です。過去パリ、上海、ドイツで展示され、特に大英博物館で大評判を呼び、2009年に国宝に認定されました。
この美しい土偶を見ると、縄文人の造形の美意識の高さと、これを作りえた豊かな環境が偲ばれます。




13年6月上旬 現役山行、赤岳

日時:13年6月1日(土)2日(日)
参加者:現役  L増田(商4)、SL渡邉(政3)、三輪(商3)、山川(商3)、鈴木(商1)、小川(商1)、大久保(商1)、坂本(社学1)
     OB    井村、豊田夫妻



山行報告;学生 渡邊記

6月1日天気 曇り
10:15に茅野駅に集合。遅刻もなくスムーズに集合することができた。61日は山開きということもあり、バスの混雑が予想されたが10時台という遅めのバスだったので、全員座ることができた。美濃戸口に到着し、初めて会うメンバーもいたので自己紹介をした。その後、準備運動をして11:30には美濃戸口を出発した。

美濃戸口から続く、林道ではそれぞれ自己紹介の続きをしながら歩いた。美濃戸山荘までは休憩なしで歩いた。美濃戸山荘で、小屋のおじさんがお茶と漬物を差し入れてくれた。今回のルートではないが、北沢方面は荒れているとの情報を教えてくれた。

私たちは南沢のルートから赤岳鉱泉をめざした。途中作業小屋近くの広場で一回の休憩を取った。作業小屋までは車が入るので、歩きやすい道が続いた。初めて山に登る新入生もいたが、みんな元気そうだった。

作業小屋より先は本格的な登山道に入った。隣に川が流れているので、暑さが和らいだ。みんなで水が綺麗だねと話したのを覚えている。コース中危険箇所等はなく、メンバー全員山歩きを楽しむことができた。

赤岳鉱泉には15:15に到着した。小屋付近には冬に使用していたアイスクライミングのゲレンデのあとが残っていた。テント場はそんなに広くはないが、調理場は使用できるので嬉しかった。

今回の山行では3張のテントを持って登った。二張は簡単に張ることができたが、一つは張り方がわからなかった。きちんとテントの張り方を確認してくるべきであった。

夕食は鍋を作った。きゃべつ二玉は明らかに持ってきすぎた。9人でおなか一杯食べることができた。ご飯も美味しく炊くことができた。後輩に米の炊き方を教えてあげたので、今度炊いてもらいたいな。

早めの夕食を終えたあと、みなそれぞれの時間を過ごした。雲の切れ間から、赤岳と阿弥陀岳が見えた。明日晴れることを祈った。19時ごろ就寝。

6月2日天気 曇り

3:00起床。夜間雨が降ることはなかった。しかし、山頂は雲に隠れたり、出たりを繰り返していた。初めてのテント泊で寝れた人、寝れなかった人それぞれであったようだが、みんなすぐに起きてくれた。朝早いので周りの人に迷惑を掛けないように、朝食の準備をした。朝ご飯はゆできゃべつとラーメンだった。きゃべつ一玉をみんなで食べたので不足しがちな野菜は沢山取れたはず。ご飯を食べていると、朝から登り始めた豊田さん夫妻が赤岳鉱泉に到着した。

5:15赤岳鉱泉発。二日目が始まった。サブザックでの登山なのでみんな気持ちが楽だった。出発して、10分くらいで雪があった。まだ日の当たらない樹林帯は雪が残っていた。行者小屋までは、休憩も取らずもくもくと歩いた。小屋について、休憩を10分ほどとった。

6:05行者小屋を出発。地蔵尾根経由で赤岳を目指した。樹林帯を抜け、高度が上がってくるとみんなのテンションが上がってきた。先日の山行で膝を痛めた井村さんが心配であった。稜線に出ると風が出てきた。途中休憩できそうなところで二回ほど休憩をとり、赤岳展望荘に着いた。

7:16に赤岳展望荘を出発した。この後の岩場は雨が降ったら嫌だなと思った。山頂はガスの中で見えたり、見えなかったりであった。しかし、みんな元気そうに登っていて良かった。

7:50に山頂着。増田さん以外は楽しそうに写真を撮ったり、山頂を満喫していた。高所恐怖症の増田さんには申し訳ないが、仕方ない。30分ほど休憩した後、下山開始。 

8:20山頂発。岩を落とさないように注意しながら降りた。途中から階段が出てきて嫌になった。段差が大きいのは辛い。行者小屋までは一回休憩を取り、あとは淡々と降りた。

9:40行者小屋着。お腹が空いたのでお昼用に購入したパンを食べる。行者小屋は登山客でにぎわっていた。

10:00行者小屋発。赤岳鉱泉までは来た道を戻る。

10:30赤岳鉱泉着。小屋に預けていたザックを受け取り、片付けをして下山。13:20のバスに乗れるように頑張って下山しようと決意を固める。

11:05赤岳鉱泉発、下山は荷物も軽くなったし、気持ちも楽だったのでぐいぐい進んだ。休憩を取ることもなく、美濃戸山荘まで歩いた。美濃戸山荘で、休憩を取り、車で来ていた豊田さん夫妻はここから車。美濃戸口で待っていてくれた。

13:00美濃戸口。ここで反省会をして解散。無事に13:20のバスに全員乗ることができた。


豊田OB記; 現役Pは井村OBと共に6月1日美濃戸から赤岳鉱泉幕営、2日に豊田OB夫妻と合流

6月1日(土)

午前零時に美濃戸の「やまのこ村」の駐車場に到着。星が見えていた。

車の中で仮眠し、午前2時に起床。車の中で朝食後、2時半に歩き始める。闇の中を歩き、パートナーが怖がっていた。月が昇ってきたが雲がありあまり明るくない。

4時頃には明るくなり、懐中電灯も必要ない位だった。登山道には所々雪が残っていて、大同心も見えてきた。

赤岳鉱泉小屋で井村OBと山の会の現役に合流。テントを撤収し、朝食のラーメンを食べていた。

赤岳鉱泉から行者小屋、地蔵尾根下部の樹林帯の道には雪がかなり残っていた。

朝から晴れていたが稜線に出る頃、雲が湧いてきた。頂上直下の稜線で黄花石楠花が一株咲いていた。頂上に着くと雲の為に遠くの山はあまり見えなかった。近くの阿弥陀岳や横岳、権現岳などはよく見えていた。仙丈ヶ岳が一瞬見えた。

文三郎尾根の途中で小鳥が鳴いていたが近付いても逃げなかった。

赤岳鉱泉小屋に預けていたテントなどの共同機材を受取り、出発。美濃戸口で解散する。


コースタイム:「やまのこ村」駐車場発 2:30 – 3:12着 上部駐車場発 3:20 – 4:15着 赤岳鉱泉発 5:15 – 5:55着 行者小屋発 6:00 – 6:50着 地蔵尾根上部発 7:02 – 地蔵の頭通過 7:10 – 7:15着 赤岳展望荘発 7:20 – 7:50着 赤岳頂上発 8:20 – 8:55着 文三郎尾根分岐発 9:00 – 9:55着 行者小屋発 10:05 – 10:32着 赤岳鉱泉発 11:05 – 12:15着 美濃戸山荘発 12:30 – 12:35着 「やまのこ村」駐車場。


前日に赤岳鉱泉天場で幕営 朝食はラーメン 事前予報に反し天候は順調
体操を行う。 いざ赤岳に向けて出発。中山乗越への道には雪が残る 中山乗越から大同心、小同心を望む。
乗越から行者小屋への下り。 行者小屋。中岳のコルには残雪がある。 地蔵尾根の分岐
地蔵尾根の樹林帯を登る。 今年は雪が多い。 元気に高度を稼ぐ。
樹林帯を抜けると急な地蔵尾根の登りにかかる。 阿弥陀と中岳がだんだん低くなる。 地蔵尾根上部の岩場に差し掛かる。
このお地蔵さんが、尾根の名の由来である。 稜線直下の岩場を辿る。 もう大同心は下になり横岳の稜線が見えてくる。
稜線に到達。 赤岳天望荘に到着。 ここから赤岳への本格的な登りが始まる。
この岩を下ると赤岳頂上小屋に。
赤岳北峰の頂上小屋。 赤岳ピーク直下。 ピークに到着。
ピークにて記念撮影。 感激のピーク。 豊田OB夫妻
井村OB 正面に阿弥陀を望む。 下りが始まる。
ピーク直下の岩場。
ルンゼの下り。
文三郎道の分岐 急な階段。
文三郎道の取付 行者小屋 赤岳鉱泉に到着、テントなど回収して下山する。
北沢を下る。堰堤まで車が入っている。 美濃戸への下り 美濃戸山荘に到着。



13年5月中旬  熊野古道・大峯奥駈道縦走

笠原OBの熊野古道「大峯奥駈道縦走」報告より
5.6(月)夜行バスで横浜発
 5.7(火)天理駅前バス下車~近鉄で吉野へ行くが橿原駅で乗換間に合わず時間ロス発生。奥千本までバスで(ザック)荷上げし、往路を下山し近鉄六田駅で下車から歩行開始。
吉野川の柳の渡し(第75靡)から吉野山を登り、吉野神宮、金峯山寺、などを経由し、喜蔵院(吉野)へ。金峯神社のコンクリート床上でツエルト(簡易テント)泊。
5.8(水)4時過ぎにヘッドランプを点けて出発する。崩壊地は不安定ながら仮復旧の下巻き通過。女人結界を過ぎ、先を急ぐ。鷲ノ巣岩(写真1)、西ノ覘岩を過ぎ、山上ヶ岳の登りは階段。宿坊「喜蔵院(山上)」に16:55到着。

 5.9(木)朝食自炊し4:30出発。大普賢岳(1780m)の登り大。疲労蓄積を感じ七曜岳の岩道・クサリ場・偽踏み跡に体力消耗し遅速・休憩増大。この日目標の弥山小屋へは無理と感じ、途中の行者還避難小屋へ入る。
5.10(金)午後から天気下り夕方雨の予想。楊子ノ宿を目標に4時暗中出発。踏跡複数・獣道あり。弥山小屋着時雨始まる。10時前ではあったが無理せず弥山小屋へ投宿。
5.11(土)天気予報は昼まで雨。7:45まで様子を見て雨中出発。中型犬が一匹ついて来た。八経ヶ岳(1915m)、明星ヶ岳を過ぎ、崩壊箇所を高巻くも犬がついてきた。仏生ヶ岳、孔雀岳と倒木くぐりを繰返して進み、椽ノ鼻付近で霧が晴れ岸壁越しの景色(写真2,3)が素晴らしい。釈迦ヶ岳の岩場・鎖場は大きなギャップで遅速。四足の犬は乗り越えて私にまとわりついてきた。雨中荷の重さを感じて下半身疲労蓄積。下り道は雨に濡れて滑り易かった。夕刻降りやむ期待は実らず、寒風と雨に冷やされた。深仙ノ宿避難小屋に入った。
5.12(日)朝、天狗山、地蔵岳と次々現れる大きな高低や10m以下の地形図にも表れない細かな高低が数多く続き、間質性肺炎の私にはその都度負荷となって心拍数を高めた。涅槃岳(1376m)の登りにさしかかったとき犬は突然森へ駆けだし、太い咆哮と闘うのが聞こえた。熊か?猪か?。その機に乗じて登りを急ぎ、犬から離脱。証誠無漏岳、阿須迦利岳と上下が続き、持経ノ宿に着いたが日曜というのに無人だった(一昨年のGW期間中投宿では管理人もいて賑やかだった)。コースタイムの2倍以上かかって平治ノ宿に着いた。
5.13(月)転法輪岳、倶利迦羅岳の登りも脚に堪えた。行仙宿小屋も懐かしく中を覘きたかったが先を急いだ。笠捨山(1353m)も大きなボリュームで疲れさせられた。葛川辻から上葛川沿いの巻き道に入り、上葛川の集落へ急いだが蛭を警戒した。
5.14(火)登山口の階段は土砂が堆積して不安定だった。岩ノ口で奥駈道の稜線に戻ると朝の降雨があった。森中霧で見通し悪い。紀伊半島南部は雨量も霧も多い。玉置山(1077m)を越えて、玉置神社で3年前に説明を受けた弓場氏としばらく話した。下りきった篠尾辻で幕営(写真5)。蛭避けのスプレーを散布。

5.15(水)五大尊岳、大黒天神岳も大きかった。熊野本宮大社が見下ろせる(写真5)ようになってからの道のりが長かった。日射と暑さの中、七越峰から大きく迂回した奥駈けのルートが長く、やっとのことで熊野川へ至った。川幅は数百メートルある。一昨年の台風で本宮の家々の一階部分が水没したそうだ。渡渉の深さは膝下だった。
120年前の水害で遷宮するまえの旧熊野本宮大社のあった大ゆの原へ至り、奥駈縦走修了として下山報告をメール発信した。




13年5月上旬 北ア槍沢~槍ヶ岳

田野辺OB・井村OB

201358日~11

 

昨年は同じ5月に穂高に入り、今年3月は八ヶ岳縦走と同期の田野辺OBとペアで登ってきた。さて今年の5月は「どこに登る??」と催促がきた。白馬の大雪渓は雪崩が怖いし、あとは鹿島槍か剱か、八方~五竜、燕岳も登っているし、結局伝統的なル-トながらも槍沢から槍ヶ岳でもと5月の連休が終わる頃、また上高地にやって来た。何時もながら5月の上高地からの穂高の岳沢はまだびっしりと積雪で輝いていたが、今年の小梨はまだ芽吹くには早いようだ。

8日上高地で仮泊し、通い慣れた明神、徳沢、横尾と左手に穂高連峰を望みながらの何時もの横尾街道は楽しい時間です。連休も過ぎているせいか、これから登る人、下山する人で何時もは賑やかな横尾山荘前は数人の登山者しか見当たらず静かです。ここからは残雪が所々現われ始めてきます。ワサビ沢を横切り、一ノ俣の橋を渡り、樹林帯を行き、二ノ俣の橋を渡ると槍沢ロッジも近いです。
翌朝はアイゼンを着けて、槍沢の登りに向かいます。樹林帯を抜けてババ平から雪面に降り立ち、大曲を目指して黙々と登ります。大曲から雪面の傾斜が徐々に増して、一直線に傾斜の雪面を登る。雪面のステップが合わないと消耗することがはなはだしく、雪面を踏み抜くと泣けてきます。急斜面を登り切り、夏道の天狗池の分岐あたり迄来ると、やっと槍の穂がうっすらと見え出した。
そこからトレースが直線に槍の肩迄延びているのが、見えます。その頃から天候も悪くなり、槍の穂が見えなくなり、槍ヶ岳山荘の下の400500m位の最後の急斜面の直登のトレースをバテバテピッチで登り、肩に到達した。途中から降雪となり、槍の穂にも行かず小屋に飛込んだ。いくら待っても雪が降り止まず、槍の穂に行ってもしょうがないので、ビールで紛らわせる。

翌日も朝方から天候が回復せず、濃霧で霙交じりの中を下り出す。50m100mピッチの赤旗を頼りに、ぐすぐすの雪の斜面を下る。赤旗を外さない様に気を付けながら下る内に標高がさがると、視界も良くなり気楽に下れる。途中でアイゼンも脱いだ。雨の中槍沢ロッジを通過し、横尾山荘で一服。その後はひたすら上高地を目指した。雪と雨にたたられた山行だったが、何時もながら、日本酒、てんぷらと蕎麦は忘れませんでした。



八ヶ岳・夏沢~根石岳~天狗岳~中山峠への縦走

根石岳・硫黄岳

参加者  :井村、田野辺OB(40年卒)
日  時 :3月11日、12日、13日
コース  :11日夏沢鉱泉
       12日夏沢鉱泉~オーレン小屋~根石岳~東天狗岳~黒百合
       13日黒百合~渋の湯

昨年3月に根石の鞍部で強風に吹雪かれ、「ほうほうのてい」で山を下り、上諏訪の金子先輩に大変お世話になりました。田野辺OBから今年の「リベンジは」と連絡があり、今年も同じ3月の11日に再挑戦と雪上車に揺られて夏沢鉱泉入りしました。
天気図では今回は11日と12日は高気圧が日本列島を横切り、調子が良さそうで、八ヶ岳の3大強風鞍部の一つでもある根石の鞍部を越えられそうです。

翌朝、夏沢鉱泉からアイゼンを着けて、トレースを頼りにオーレン小屋に登り出します。

オーレン小屋からはトレースが定かでなくなりますが、踏み跡らしきを追って登ります。なんとかもぐらずに行けそうです。持ってきたワカンは必要なさそうで、ひたすら根石岳の鞍部を目指してもくもくと向いました。高気圧に覆われた天候は申し分なく、北アルプスを初めとして、信州の雪を纏った山々が眩しく見渡せます。根石の鞍部はやはりかなりの強風でしたが、昨年の様にほふく前進をする程ではなく、時折り立ち止まりながらも、根石岳に登行を続け、天狗岳が望める所へ到達しました。

根石岳からの尾根筋の斜面はアイスバーンで、アイゼンの爪を利かせながら本沢温泉からの分岐まで降り立ちます。この間は雪と氷の状態ではザイルがあった方が良いかと感じました。他の記録を見るとザイルを使っているパーティーもいるようです。今度は雪と岩のミックスした斜面を東天狗岳に黙々と登ります。

岩交じりの最後の雪の斜面を登ると東天狗です。ピークでも風はありますが、北ア、南ア、御岳、南八ヶ岳等々の白い峰々が堪能できました。隣の西天狗岳は雪を纏ったドームの峰です。東天狗から中山峠までの下山は散歩道で、のんびりと下ります。

あと1時間半行った高見石の小屋で美味い酒を飲むか、設備の良い黒百合小屋が良いかの葛藤の末、すぐに飲みたいが勝りました。暖かい薪ストーブを囲みながらの冷たいビールは何にも代えられない至福な時でした。今朝も天候は良いのですが、天狗岳に向かった登山者は、強風でほうほうの体で、引返してきていました。

雪を纏った森の中をのんびりと渋の湯に向かい、渋の湯の浴槽に飛び込んだのは言うまでもありません。茅野の蕎麦屋で何時もながらの、てんぷらと蕎麦に日本酒で祝杯です。

夏沢鉱泉 西天狗岳
東天狗岳・田野辺OB 黒百合平・井村OB
黒百合平・田野辺OB 穂高を望む


 
13年2月、現役・ザイルトレーニング 天覧山

左から井村OB、山の会幹事長の増田君、時さん、上田代表、豊田OB夫妻
 

首都圏に雪の予報伝えられた2月19日、飯能の天覧山で現役学生対象のザイルトレーニングを行いました。
今回のザイルトレーニングは、昨年秋八ヶ岳の縦走において、学生たちから縦走路の岩場の身のこなし方や、いざという場合のザイルワークを学んでみたいというニーズの基に実施されたものです。幸い雪は関東沿岸地のみで内陸は雪が降らず、体の芯から冷え込む寒さでしたが、それにもかかわらず現役学生諸君たちは元気一杯に岩場を楽しみました。また豊田OBの奥さまも特別参加されました。参加者たちはは、練習後半になると岩場で流れるような身のこなしが可能となり、上達の速さが印象的でした。ザイルトレーニングが終わった後、学生諸君からまたをやってみたいという声が挙がっていました。

尚現在天覧山はお寺の私有地で岩場を使用するには届けが必要です。

     参加者:現役学生、増田幹事長、時さん、上田代表、井村副代表、豊田OB夫妻、金子OB

 
     
 飯能駅に9:30集合し、バスで天覧山の麓に行き、そこからピーク下の岩場に集結しました。 初めてのザイルトレーニングで 増田幹事長も張り切っています。  井村OBが三点確保の基本を説明します。
     
 底冷えの日ですが、素手で岩に触らなければなりません。  増田君と時さんが登り始めます。  この大ハング下の高さ約10m岩場はバンドが斜めに登っていますが、直登ルートはスタンスが細かいです。
     
     
 フリーで途中まで上下し練習します。  豊田OBの奥さんもトレーニングに参加を開始しました。  豊田OBがコーチしている向こうでは、上田代表も楽しそうにコーチしています。
     
     
 約1時間半に渡ってフリーで上下を練習しました。  昼になったので昼食です。  熱い飲み物が体に沁み通ります。

 

 

 
     
 午後の部はザイルを使用したトレーニングです。  上の立木を支点として井村OBが肩がらみの懸垂で下降します。歳を感じさせません。  上田代表がザイルの結び方をコーチします。
     
 岩登りの名手、上田代表が見本を示します。  スルスルとあっという間に上部に達しました。  ハーネスに装着したザイルを張りながら、完全なクライムダウンを行い、ザイルの信頼性を説明します。
     
 下で豊田OBの確保基、増田君が登ります。  岩から体を離す感覚を体験します。  途中まで登りクライムダウンを行います。
     
 確保していた豊田OBが我慢しきれなくなって登り始めました。  細かい微妙なスタンスの部分もあります。  上まで登り、クライムダウンを行いました。
 
 
 
以下は 時さんの登攀です。    
 
 
 
 
以下は豊田OBの奥さんの登攀です。
 
 
 
 
以下は 増田君の登攀です。      
       
       
 
 
 
 
午後の練習も2時間経過しました。後1時間の4時まで行います 体をできるだけ岩に対して垂直に倒しながらの、クライムダウンの練習です。 上まで登ってから、肩がらみの懸垂でクライムダウンを行います。登りは驚くほどリズムカルに登れるようになりました。
時さんの 1回目の懸垂によるクライムダウンです。  増田君の 1回目の懸垂によるクライムダウンです。  豊田OBの奥さんの1回目の懸垂によるクライムダウンです。
 時さんの 2回目の懸垂によるクライムダウン。見違えるようにスムーズです。   増田君の 2回目の懸垂によるクライムダウン。余裕のVサインです。   豊田OBの奥さんの2回目の懸垂によるクライムダウン。落ち着いています。
 
 
 
     
 三重県出身で伊賀忍者の末裔と言われる増田君と時さんの忍者のパフォーマンス。  カラス天狗から忍者に変身しました。  豊田OBの奥さんも加わります。
 

 
 

 

「管理人の蛇足」 

体の芯から冷え切った一日、しかも午後から小雪もパラついて来る中で、参加者のみなさんは上着も着ずにせっせと岩場を上り下りしていました。私はと言うと、フリースの上にダウンをはおり、その上からジャケットを着て、小雪がパラついたのを機に更に雨具をまといました。そして撮影の間中、オーバーズボンを持参してこなかったことを悔いていました。動いていれば少し寒さは和らぐのでしょうが、重い体で岩に取り付いて恥をかくのなら寒いままで我慢していました。

この岩場に来たのは52年振りでした。当時高校2年生で前年に創部したワンゲルの仲間4人と3月に3回ほどやってきて練習しました。当時、高校山岳部は岩登り禁止であり、まして創部して間もなく上級生もいないワンゲルでは誰も教えてくれる人もいないため、技術書で習い覚えたザイルワークを見よう見まねで行いました。今回訪れた天覧山岩場周辺は、樹々がすっかり大木になっていて、大ハングもその横の小さな岩場のかって見晴らしが良かった場所も、灌木に覆われて景色が一変していました。右は大ハングの懸垂下降と、その横の小岩壁で初めてアブミに乗りハーケンを打ったヘッピリ腰の写真です

昔、苦労したことを思い出しながら、今回ザイルトレーニングに接して、初めてのことを実行するには基本をよく知っている経験者から学ぶことが一番近道だと改めて想いました。三点確保、複雑なザイルの結び方、操作方法、細かなスタンスを見つけやすくなる徹底したクライムダウンなど体系的に行った練習は、ハイキングには必要ありませんが、高山帯を歩けば必ず遭遇する縦走路の岩場を、安全に歩くための基礎技術になるに違いありません。 
 
            
 




13年1月中旬 高尾山

 年も明けた1月、寒い日々が続いていましたが、41年同期は高尾山に行きました。
当日高尾山駅に集合すると、皆の靴はトレキッグシューズやスニーカーなどマチマチで、薬王院までだとか、ピークまで行くつもりだとか、それぞれ自分に都合の良いプランを勝手に描いており、靴も自己のプランに合わせて履いてきていました。登山が目的でないので当然ケーブルカーは往復券を購入しました。
薬王院に着くと、高尾山麓に住まいを移し高尾山の千日回峰を行っている秋野OBのピークへの近道があるとの話で後について行くと知らない間に雪のピークに着きました。高尾山も往復ケーブルを使用すると、新宿界隈をうろうろするより楽なことが判りました。
     
 ケーブルを降りると眼の前に東京や神奈川の街が一望できます。  薬王院です。ウイークディなのに団体の観光客が大勢います。  今年は寒いので高尾山の北斜面以外でも根雪になっています。
     
 ピークです。週末に備えて茶店の人たちが雪かきをしています。  下山して予約してあった「うかい鳥山」に来ました。着物美人が出迎えてくれます。  雪の庭を見ながら、熱燗と地鶏料理を楽しみました。